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最後の記事を書いてから、あっという間に3年が過ぎようとしている。

この時間の進むスピードは年年歳歳加速しているような気がしてならないが、それは「象の心臓・ねずみの心臓」理論では片付けられない次元のもののような感じがしてならない。

さて小生、暇人の特権をフルに活かして、そろそろ還暦を迎えようかという地元中学校の同級生仲間の取りまとめ役なんぞを引き受けている。

卒業した中学は、だいたい1クラス40名、それが5クラスあって同期卒業生は約200名という規模。小生の住む街では比較的地元に残っているメンバーも多く、その消息は比較的簡単につかめたのだが、それでもどうしても連絡先の手がかりさえ分からないというケースも決して少なくない。

そこでインターネットと検索機能の登場となる。

しかし以前のインターネット検索では全く引っかからなかった人物が、最近Facebookなるもので繋がり、消息を確認することができた。但しこれもその人物がFacebookを利用しているとの情報を受けてのことであることを付け加えておく。やはり人と人の基本的な交流があってこそインターネットも有益となるのだろう。

これが2014年1月31日のことだった。これで我がクラスの不明者は3名から2名となった。

それはそれで万々歳なのだが、これはほんの前振り・・・。

Facebookの友達検索機能ってどの程度のものかと、好奇心半分で学生時代に付き合っていたとある女性の名前を入れて検索してみた。完全合致の結果は無かったのだが、関連合致するものが数件表示された。

通常の検索であればここでジ・エンドなのだが、Facebookにはちょっとした個人情報も付属表示されている。

例えば勤務先とか出身学校とか。

全く別名であったが出身学校でちょっと引っかかった方がいたので、試しにとその方のページに飛んでみた。

プロフィールに顔写真もなく、「これじゃあ わからんわなあ・・・。」と半ば諦めつつ、タイムラインに並んだ記事を読むともなく眺めていたのだが、その記事中に写真があり、「およ?」っと思いその写真をクリックしてみたら、拡大表示され、顔型がはっきり確認できるようになった。

「まさか、こんなことがあるんだ!!」

それは昔付き合っていた女性そのものだった。あれから35年以上も時は流れたが、間違いようの無いほど彼女の笑顔は変わっていなかった。

Facebook 畏るべし!

ここからはそれを受けての個人的な感情の覚書である。紙に書いて残しておいてもいいのだが、「誰かに見られるかもしれない。」という緊張感の中で自分の頭(感情)を整理したかったという気持ちもあって、ここに備忘録的に書いておくことにした。

あくまでFacebookの記事や写真といった極めて限られた情報とそれに対する小生の印象であるが、

まず、その女性は幸せそうだった。結婚し子宝にも恵まれ、経済的にも裕福・安定した幸せな家庭を築いているようだ。加えて自ら仕事もしており、文化的にも社会的にも世の中に貢献し認知評価されているようだ。

その女性はその名を言えば「あーー!」という返事が返ってくるような脚本家となっていた。

当時はまさかその女性がモノ書きの道に進むなどとは全く想像だにしなかった。そんなこととは露知らず、その作品を小生はバカ面さげてTVで見ていたわけである。

これらの事実を知った小生の感情なのだが、まずは「生きていたんだ」次に「結婚したんだ」そして「幸せそうで良かった」

ここまでなら良いのだが、最後に残ったものは「妬ましい・・・・」

病を得て通常の社会生活を失い、家族を失い仕事も失ったわが身に比べれば、どこをどう見ても何もかにもがキラキラ輝いて見えた。

小生も紆余曲折ある人生だったし、経済的な成功に対する羨望は今はあまりない。健康で活動できていることに対しては多少羨ましくは感じる。でもそれで自分が惨めになることはない。

ただ、脚本家として作品を生み出し、それを発表する機会があり、広く世間に認知評価されていることに対しては、自分でも思いがけないほどに嫉妬を感じてしまった。

そんな彼女に比べ今の自分はどうなんだ? と 最近はあまり感じなくなっていた自分自身の惨めさ、明け犬ぶりを嫌というほど思い知らされた。

俺の心が波立った。


ここでちょっと閑話休題。

そんな中、それまで読みかけていた文庫本を手にとって続きを読み進めていたとき、まさに今の自分のことを書いたのではないか!という一節が目に飛び込んできた。

(早川文庫 スティーブ・オリバー著 「探偵ムーディ営業中」より) 原文のまま引用することをお許しください。

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15年前なら問題はなかった。フットボールの試合に行ったり、ワインとビールで酔っ払ったり、私の車の後部座席でいちゃついたり。青春期の単純な関係で、自分自身のことさえ知らず、ましてやお互いのことなどよく知らなかった。
彼女は私を魅力的で哲学的な英語専攻生として捉え、私は彼女を魅力的で機転がきく頭のいい、柔らかい肌をしたおしゃれな女の子として見ていた。

それから私は成長し、魅力的で精神病の、人生に失敗してくよくよ考えこむ男になった。そして、彼女も成長した・・・
何に? アッパー・ミドル階級の、(中略)

その経済的な成功に私は圧倒されていた。彼女には、自分の失敗の言い訳などできなかった。

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その日はその感情のまま何とかやり過ごした。翌日改めてその感情と向き合ったとき、昨日に比べてその感情に圧倒される程度は軽くなっていた。心の波紋は少しではあるが収まりつつあった。本当に時間というものはありがたいものだ。

そしてその感情を客観的に眺めることができるようになっていった。

ある意味では自分は惨めな負け犬かもしれない。でも、それだけ妬ましいという激しい感情が生まれるのは、今の自分にまだそれだけの心のエネルギーが残っているからだ。

今感じている惨めさの本質は、自分のやりたかったことを未だに果たせないでいるからではないのか?

諦めたものは何なのだ? そんなものが本当に自分にあるのか?

「ある」

このように思いを進めてきたとき、今回の出来事は「その結果はどうあれ、自分が諦めてしまったものに今こそチャレンジせよ」という天からの声のようにも思えてきた。

言ってしまったよ。

さあ、最後の一仕事を始めるときが来たのかもしれない・・・・。

彼女を見つけたことは本当に良かった。何らかの縁があるのだろうか?

その縁に感謝して、重い一歩を踏み出すことにしよう。







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