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5月5日。終日うす曇。こどもの日でありました。しかし最近ではこんな田舎町でもデッカイ鯉のぼりが悠々と空を泳いでいる姿をとんと見なくなりました。桜は昨日の強風にも耐えたようです。2階の窓から見える景色もピンク色が日増しに強くなってきています。そろそろ見頃なんでしょうかね。しかし夜は冷えます。まだまだ暖房は手放せません。

昨日はグランド・ファンク・レイルロードについて書きましたが、1970年当時の洋楽シーンにおいては、好むと好まざるとにかかわらず、レッド・ツェッペリンを無視することは出来ません。当時の最先端の音楽を紹介してくれるメディアはAMラジオのヒットチャート番組であって、それを通して我々貧乏ティーンエイジャーは海外の文化に初めて触れるというのが通常でした。しかし当時は音楽はクラシックかポピュラーかに分けられていて(ジャズはちょっと例外的でしたが)、ポピュラー音楽は「洋楽か邦楽か?」といった単純なジャンル分けしかありませんでした。

この「Immigrant Song 邦題:移民の歌」がヒットした1971年のヒットチャートを見ると、例えばニッポン放送ポップス・ベストテンの年間ランキングの第1位は ビー・ジーズの「メロディ・フェア」 第2位はフランシス・レイ・オーケストラの「ある愛の詩」のサウンドトラックでした。そして第3位はミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」。この他には以前紹介したポップス系のハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズやオーシャン、ダニエル・ビダルにヘドバとダビデ・・・・。ロック系ではビートルズ解散後のポール・マッカートニー「アナザー・デイ」、ジョージ・ハリスン「マイ・スウィート・ロード」、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルやスリー・ドッグ・ナイト、チェイスやシカゴのブラスロックに、大御所のエルヴィス・プレスリー「この胸のときめきを」やローリング・ストーンズ「ブラウン・シュガー」などなど。

Zeppelin02s.jpgイージーリスニングの「ある愛の詩」あり、フレンチ・ポップスあり、ブラス・ロックあり、そしてハード・ロックのこの「移民の歌」まで何ともバラエティに富んでいます。しかし番組を聴いている我々は結果的にその幅広な音楽を聴いていたというわけでもあります。北海道ローカルのヒットチャート番組でもレッド・ツェッペリンの「移民の歌」はずいぶんと流されました。ロバート・プラントのあの絶叫をどれだけ聴いたことでしょう。時代は「ツェッペリンを聴かなきゃ洋楽は語れないよ・・・・。」という雰囲気に満ちていました。小生はその良さはなかなかわからなかったのですが、乗り遅れまいとして結局「移民の歌」のシングル盤を買ってしまいました。


まずはロック・ミュージックを革新したと言われる彼等の楽曲を聴いてみてください。著作権の関係がものすごくうるさいのがこのレッド・ツェッペリンです。あっという間に抹消される可能性がありますので、そのときはあしからず・・・・。

1970 Led Zeppelin 「Immigrant Song 邦題:移民の歌」


このレッド・ツェッペリンは1968年、ヤード・バーズ最後のギタリストであるジミー・ペイジが中心となって作ったスーパー・ロックグループ。デビュー当時はジミー・ペイジ以外はほとんどが無名だったということです。メンバーはもう言うまでもありませんが、ロバート・プラント(vo)、ジミー・ペイジ(g)、ジョン・ボーナム(ds)、ジョン・ポール・ジョーンズ(b・key)の4人編成。

1960年代中頃といえばイギリスではビートルズが圧倒的な存在感を誇っていたわけですが、そんな中でも若いミュージシャンの間では、ブルーズをベースにしてそれをドラマティックに表現するという方向性で新しいサウンドを作り上げていきました。それは後にハード・ロックと言われる音楽として世界中に広まっていったわけです。その代表格がレッド・ツェッペリンでした。彼らはヤードバース、クリームといった先進的なバンドが作り上げてきたロックをハード・ロックという概念で見事に集大成させたとして高く評価されています。また彼らの楽曲にはアコースティック・ナンバーも多く、ブリティッシュ・トラッド、フォークから中近東音楽に渡る幅広い音楽性を持ち、1960年代のビートルズとはまた違った方法論でロックの限界を押し広げたという側面もあるようです。

ハード・ロックを確立したバンドとしては彼らのほかにディープ・パープルの存在があります。しかし、ツェッペリンは繊細で計算し尽くされたサウンドを身上とし、とディープ・パープルはハード、ヘビイ、スピード、プラス哀愁のサウンドということで、両者の目指した音楽性には同じハード・ロックながら微妙に差異があったような感じがします。

それにしても レッド・ツェッペリンは爆発的に売れました。1969年10月に発売されたセカンドアルバムはビートルズの「アビーロード」を蹴落として英米共に7週連続1位、1970年10月発売のサードアルバムも英米共に1位・・・・。また1970年のメロディー・メーカー紙の人気投票でもビートルズを破りベスト・グループ1位を獲得します。その後も解散するまで全てのアルバムが巨大セールスを記録、コンサートツアーでの観客動員数もトップだったということです。小生なんぞは、どうしてそこまで彼等の音楽が支持されたのか正直良く分かりません。いかに繊細で計算し尽くされたサウンドと言ってもそれほど革新的なこととも思えないし、演奏技術もそれほどのものとも思えないんです。どちらかというとディープ・パープルのサウンドのほうが親しみも持てるし、ビート感に溢れていて多くの人に受けるように思うのですが・・・・。そんな小生の評価はさておき、レッド・ツェッペリンは現代においてもアメリカだけでも年に100万枚以上のアルバム・セールスがあり、通算では1億枚を超えると言います。ちなみに全世界でのアルバム・セールスの累計は現在のところ3億枚を突破しているとか・・・・・。こうなると間違いなくポピュラー・ミュージック界の御三家入りですな(エルヴィス・プレスリー、ビートルズ、そしてレッド・ツェッペリン)。

衝撃的なデビューを果たした彼等ですが、オフステージでの乱痴気騒ぎはあたかも酒池肉林の様相だったようです。そんなこんなもあってメディアは彼等に対して終始批判的だったみたいです。また、デンマーク公演の最中にツェッペリン飛行船の開発者の子孫であるエヴァ・フォン・ツェッペリン女史に、ファミリーネームの無断使用ということで訴えられかけて、一時「THE NOBS(ザ・ノブス)」(=紳士たち、または陰茎の隠語)と名乗っていたこともあったそうです。この訴訟でエヴァ女史は法廷で「金切り声を上げて飛び回る猿どもに、当家の栄誉ある名前を名乗らせるわけには参りません」と宣言したと言われます。「ツェッペリン」という言葉が他には無いファミリーネームであって、それの無断使用云々というのはともかく、「金切り声を上げて飛び回る猿ども」という部分はあながち的外れではないような気がするオヤジであります。ただ「ロックとは体制や支配者に対する反抗である」という定義からすれば、上流階級の大好きな秩序だとかマナーなどをぶっ壊してこそロック的なのでしょうから、それは当然の成り行きなのかな・・・・とも思うのであります。ただ、音楽としてはあまり好みではないようで、彼等の音楽を以後ほとんど聴いたことが無いオヤジでありました。


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