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5月4日。みどりの日と言うんですか?何だかとってつけたような国民の祝日です。今日は終日うす曇で気温も高かったのですが、一日中強風が吹き荒れていました。深夜の今も吹いています。桜はこのあたりでも咲き始めました。しかしこの強風で明日の朝には全部無くなってたりして・・・・・・。ま、いっか。

さて今日もグランド・ファンク・レイルロード第2弾です。グランド・ファンク・レイルロードの宣伝コピーは、「アメリカンNo.1ロック・バンド、驚異の暴走列車GFR」という何とも凄まじいものでした。

バンド名自体ははアメリカの鉄道会社「Grand Trunk Western Railroad」をもじって名付けられたということですが、<レイルロード>から<暴走列車>という宣伝文句が出てきたんでしょうね。何だかスティーブン・セガールの<暴走>シリーズみたいですね。

1970年代初頭のアメリカでは、以前ご紹介したヒッピー・カルチャー(フラワー・ムーブメント)やサイケデリック・ブームが一段落し、それを吸収したブリティッシュ勢が、ハード・ロック(レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルetc)とプログレッシヴ・ロック(ピンク・フロイド、キング・クリムゾンetc)に分かれ、大挙して巨大市場のアメリカへ渡ってきた頃にあたります。そんな中アメリカ国内である程度確固たる支持を得て活躍していたバンドといえば、クリーデンス・クリアウオーター・リバイバルくらいだったのではないでしょうか。しかし彼等のサウンドも革新的なサウンドと派手なパフォーマンスのブリティッシュ勢の前ではいかにも泥臭く地味であって、少々時代遅れの感は否めませんでした。

そんなブリティッシュ・ハード・ロックの嵐がアメリカ中で吹き荒れる中にあって、唯一アメリカで対抗できるハード・ロック・バンドがグランド・ファンク・レイルロードだったと言われます。彼らは当時勃興していたハード・ロックのスタイルをいち早く取り入れ、アルバム「On Time 邦題:グランド・ファンク・レイルロード登場!」でデビューを果たします。レッド・ツェッペリンのアメリカ公演に際してその前座を務めたのですが、その凄まじいボーカルと迫力満点のサウンドで聴衆を熱狂させ、メインのレッド・ツェッペリンを食ってしまった・・・・という逸話も残されています。この出来事でロック・ファンにその名が浸透し、彼らは一躍時代の寵児となっていきました。この1stアルバムからシングルカットされた「ハート・ブレイカー」は今やハード・ロックの古典となっており、あの井上陽水の名を一躍知らしめた「傘がない」はこの曲のコード進行を模倣したものだということです。

オリジナルメンバーは、
Mark Farner マーク・ファーナー/ギター・ヴォーカル
Don Brewer ドン・ブリューワー/ドラムス、ヴォーカル
Mel Schacher メル・サッチャー/ベース・ギター

たった3人のバンドなのですが、そのサウンドの分厚さはちょっと信じられないくらいです。当時のブリティッシュ・ロックがビートルズを超える手法として、クラシック・ミュージック等と組み合わされた難解なサウンドを作り上げるような方向に向かう中、グランド・ファンク・レイルロードはそんな難解さとは正反対のストレートさとパワーでゴリゴリ押していく方向でひた走ったわけですが、そのパフォーマンスの派手さではブリティッシュ勢に全く引けを取らないバンドでもありました。この辺の潔さがグランド・ファンク・レイルロードの曲から溢れ出しているように小生なんぞは感じます。

前置きが長くなってしまいました。まずは聴いていただきましょうかね。

1971 GrandFunkRailroad 「Gimme Shelter」


この「Gimme Shelter」は、スタジオ盤として4作目にあたるこ1971年発売のアルバム「サバイバル」に収められた曲です。これはロックファンならご存知でしょうが、ローリング・ストーンズのカバーになります。静かでどこか幻想的な感じのするイントロとグランド・ファンクらしさ溢れる直線的ハード・ロックのコントラストが実に印象的な曲で小生の中では一番のお気に入りです。

彼らのサウンドをあえて表現する言葉を一つ選ぶとすれば、それは「豪放」・・・・・という感じです。特に「アメリカン・バンド」ではドラムを叩きながら唄うドンの迫力溢れるヴォーカルは圧巻です。それにしてもあれだけパワフルにドラムを叩きながら、あれだけの声量で唄うのは物凄いことだと思います。それでいて、ドラムもボーカルもブレることがない・・・・これはなかなか真似の出来ないことなんじゃないかと心底感心します。とにもかくにもストレートかつパワフル、陽気で乾いたサウンド、ステージ・パフォーマンス、どこをとっても実にアメリカ的であります。

ではその「アメリカン・バンド」をライブ映像で・・・・。

Grand Funk Railroad - We're An American Band LIVE - 1974


この曲は1972年にキーボードのCraig Frost(クレイグ・フロスト)が加入し、バンド名を「グランド・ファンク」に改めて1973年にリリースされた8作目のアルバム「アメリカン・バンド」の代表曲であります。このアルバムはプロデューサーに奇才トッド・ラングレンを迎えて全米2位の大ヒットとなり、同シングルはハードロック・バンドとしては異例の全米No.1に輝きました。ここにグランド・ファンクは名実共に世界で認められる偉大なるロック・バンドとなったわけであります。しかし上半身裸という従来からのスタイルは崩していませんネエ^^。

さて昨日もちょっと触れましたが、当時のロック伝説のひとつとして語り草になっている1971年の激しい雷雨の中で行なわれた後楽園球場での来日公演の様子はこんな感じだったようです。

1971年7月17日に後楽園球場で行われた「ロック・カーニバル#6」にグランド・ファンク・レイルロードが真打ちとして出演。他の出演者は、モップス、麻生レミ、マッシュ・マッカーン。マッシュ・マッカーンの演奏が終わった午後8時頃から雨が降り始め、1時間半演奏中断。聴衆は雨に打たれながらグランド・ファンク・レイルロードの登場を待ち続けた。雨が止み午後9時半から演奏再開するも再び雨が降り出す。彼らは激しい雷雨にズブ濡れになりながらも演奏続行し、午後10時40分にアンコールナンバー「INSIDE LOOKING OUT」で終演。3万5000人の観客が激しい雨の中熱狂に包まれた。入場できなかった2000人が機動隊と揉み合いを演じた・・・・。このライブが生演奏だったのか?それともテープに合わせたクチパクだったのか?が当時論争されたわけであります。(あの豪雨の中電気楽器を弾いていたら感電しちゃうだろ・・・・・ってことでした。)

いずれにせよ1970年代前半のアメリカのハードロック界で孤軍奮闘した彼らは、何だかんだ言ってもやはり偉大なアメリカン・バンドだったと思います。そう言えば、ギター&ボーカルのマーク・ファーナーはインディアンの血を引いているとのこと。ロックにおいても、アングロ・サクソン(イギリス)の侵攻に対抗したのがネイティブ・アメリカンであるグランド・ファンク・レイルロードだった・・・ということに何となく歴史的な皮肉を感じてしまうオヤジでありました。


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