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4月29日。昭和の日って言うんですか?今は・・・・。オヤジにはどうしても天皇誕生日以外の何モノでありません。新しい祝日の呼び名や、祝日を特定日ではなく何月第何週の月曜日とするハッピーマンデーなどには関心が無いせいもあるのでしょうが、全く頭に入ってきません。どこをとっても正真正銘まさに昭和のオヤジであります。

しかし今日も気温が上がりました。ローカルTVでは「Tシャツ初日」と言っていました。明日はもっと気温が上がって今年初の夏日(最高気温25度超え)になるかもしれないとのことです。つい3・4日前には雪だったんじゃなかったっけ?

さて、今日は60年代末から70年代にかけての日本の歌謡曲(この表現が妥当かどうかわかりませんが・・・・)において、特殊な位置づけと支持を得ていたジャンルがあります。それが「アンダーグラウンド」。華やかでオシャレな昼の顔とも言うべき和製ポップスや、夜の盛り場での甘い男女の恋模様を歌ったムード歌謡、それらのいわば歌謡曲のメインストリームにドカッと対峙して存在していたのが夜の顔いや闇の顔ともいうべき「アンダーグラウンド」だったのかな・・・・と思います。実のところ良くわかりません。

その代表格が今日ご紹介する浅川マキ姉さんであります。この「アンダーグラウンド」の系譜に位置づけられるミュージシャンとしては、他にはハードロック転向以前のカルメン・マキ、三上寛、日本のホセ・フェリシアーノとも呼ばれた長谷川きよしなどがいたかと思います。また森田童子などもこの系譜に連なるのかもしれません。一口に「アンダーグラウンド」と言ってもその定義付けはなかなか難しいものです。ある人は<地下深くで蠢動する音楽> <光差す地上のみで生きる者はけして出会うことのない音楽、闇の中に眼を凝らした者だけがそれを掴むことのできる音楽> などと表現しています。とにかく共通点は自らの音楽のみならず、様々なものに対してこだわりが強く、独自の美意識を持っていてそれを貫き通していること。したがって商業的な成功を第一に考えるメジャー・レコード会社との間でトラブルになるケースも多かったようです。

どの曲をとっても「浅川マキ」ワールドで、それぞれに素晴らしく、数曲セレクトするのに悩みに悩みました。その結果まず聴いていただきたいのが標題曲「かもめ」であります。

1969 浅川マキ 「かもめ」


1969年7月1日に発売された彼女の事実上のメジャー・デビュー・シングルに収められた曲です。作詞は寺山修司氏、作曲はジャズのビッグバンド「ニューハード」の山木幸三郎氏であります。石川県の片田舎出身で高校卒業後 町役場で国民年金窓口係の職に就いた女の子が、程なくして歌手を目指して上京します。米軍キャンプやキャバレーをまわり、67年にムード歌謡「東京挽歌」でレコードデビューするも音楽の方向性等で事務所と決裂。そんな頃、異才寺山修司に見出され、彼の小屋であったアンダーグラウンド・シアター「蠍座」で三日間のワンマン公演を行い口コミでその名が浸透し始め、1969年「夜が明けたら」で再レコード・デビューを果たします。

当然のことのように、この頃の彼女は明らかに寺山修司ワールドのメンバーであって、音楽部門の表現者というような立場だったような感じもします。当時のアングラ演劇ブームの中、演劇本体のみならず、ポスターなどのアート部門やら衣装などのデザイン、そして音楽などで極めて個性的なアーティストが出現し独自の世界観を表現していました。例えば、横尾忠則しかり、赤瀬川原平しかり、宇野亜喜良しかり、篠原勝之しかり、及川正通しかり、コシノ・ジュンコしかり・・・・・。

1971 浅川マキ 「赤い橋」


作詞:北山修、作曲:山木幸三郎。しかし何とも暗い曲です。ただ小生にはこの曲の印象が実に鮮烈に記憶に残っているんです。何故だか全くわかりませんが、この言葉に表せないような哀しみのようなものに圧倒されたのかもしれません。詞を書いた北山修氏自身が一番衝撃を受けたんじゃないかと想像してしまいます。それくらいフォークル時代の彼はオチャラケでいました。浅川マキ姉さんの魔力によって、そのオチャラケの底にある心の澱を引きずり出されたような感じがしてしまいます。

1971 浅川マキ 「オールド・レインコート&ガソリン・アレイ」


71年12月31日新宿・紀伊國屋ホールでの年越しライブの模様を収録したLP「LIVE」に収録されている曲です。最初の「オールド・レインコート」は作詞:浅川マキ、作曲:ロッド・スチュワート。2曲目の「ガソリン・アレイ」は作詞:浅川マキ、 作曲:ディヴ・グルーシンの作品です。ロッド・スチュワートはご存知の通りあのロック・スターであり、ディヴ・グルーシンはジャズ・フュージョン界のコンポーザー・アレンジャーの第一人者です。そんな彼等の曲に浅川マキ自身が日本語で詞をあてはめた(訳したものではない)作品です。

バックを務めるのはピアノ:今田勝、ベース:稲葉国光、ドラムス:つのだひろ、ギター:萩原信義ら当時バリバリのジャズ・ミュージシャンで固められています。そうなると、浅川マキはジャズシンガーなんでしょうか・・・・・? それにしても浅川マキの歌といえば「暗ーーい。」と思っていたのですが、このライブを聴くとそんな枠では括れないのが良く分かりました。演奏者は実にくつろいで演奏しており、観客も心の底から楽しんでいる空気が音から漂っていますね。実はここでの最大の聴きモノは浅川マキのおしゃべりです。歌と違って案外明るくて、お客さんと楽しそうに会話しています。その話し方の雰囲気もちょっと上流家庭のオシャレなお姉さん風なんですな。正直意外でした。それこそがこの曲を選んだ一番の理由でもあります。

この他にもご紹介したい曲は目白押しですが、もう数曲下記リンクを列挙しておきます。お時間に余裕のある方はぜひぜひどうぞ・・・・。

・ふしあわせという名の猫・・・浅川マキ
・こんな風に過ぎて行くのなら
・ちっちゃな時から・・・浅川マキ
・裏窓・・・浅川マキ
・浅川マキ  朝日楼~朝日のあたる家~ "The House of the Rising Sun"
・浅川マキ - ピアニストを撃て (1971)
・夜が明けたら・・・浅川マキ

しかし浅川マキの歌を聴いていると、歌手としての基礎技術という視点ではある意味未熟なのかなとも思わされます。しかしそれを越えて余りある表現力というものが彼女にはある。それは間違いありません。それがそのあたりの流行歌手などとは存在感が桁外れに違う最大の要因であります。単純な小生などはすっかり浅川マキワールドに引きずり込まれてしまっています。そういえば高校のジャズ研の先輩が同級生のフォーク・グループにオリジナル曲を提供していたのですが、その曲の雰囲気がやけに大人びているなあと感じてはいたのですが、良く良く思い出してみると、それは浅川マキワールドに近いものだったような気がします。先輩は浅川マキの音楽に当時からしっかり影響を受けていたんだとやっと気が付いたオヤジでありました。

最後に「浅川マキ」とその音楽について、実にしっかりと分析し我々にもわかりやすく解説してくれているHPを見つけました。このサイトの記述を読むと、より以上に味わい深く「浅川マキワールド」を理解できるかもしれません。よろしければどうぞ・・・・。

まこりんさんのサイト 「歌謡曲の砦 浅川マキに思うつれづれ」



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