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3月3日。ひな祭りです。桃の節句だというのに暖かい静岡や東京でも雪が降るというヘンテコなお天気です。こちらは終日晴れ時々曇り(雪は無し・・・・。)

ヘンテコと言えば、地元のテレビで「小樽でニシンの群来再び!」と大々的に報じていました。「群来」とは「くき」と読みます。これはニシンが大挙して浜に押し寄せる様を表した漁師言葉ですが、それが2009年春小樽で見られたということです。あれだけ大量にとれたニシンがパッタリと姿を消したのが昭和29年(1954年)ですから、55年ぶりの出来事だということです。さすがにこれはニュースです。

春告魚といえば、メバルが代表的かと思うのですが、北海道ではニシンがまさに春告魚です。「群来」は、海草が密生して産卵に適した浅場にニシンが繁殖のため大挙して押し寄せる様を表した言葉です。大挙してやって来た鰊が受精すると、海が白濁すると言うことです。今年はその白濁現象もはっきり確認されたということでした。本格的な「群来」の再来と考えてもいいのではないでしょうか。

確かにここ数年ニシンはぼちぼち獲れてきていました。かつてのような絶滅状態から少し復活傾向が見られていたのですが、かつての巨大な漁場であった小樽近海では水揚げはさほどでもなかったのですが、今年は既に去年の79トンに対して約8倍の480トンの水揚げがあるとのこと。ニシンが55年の歳月を経て石狩湾に戻ってきたのですね。しかし、なぜ昭和29年にパタッと姿を消したのか、そして今回なぜこれだけの「群来」となったのかについては、全くその理由はつかめていないようです。

そんな55年ぶりの珍現象に敬意をこめて、今日はこの曲です。しかし、こんな感じで毎日曲を紹介していると、何だか自分がディスク・ジョッキーにでもなったかのような錯覚を覚えますな^^。

1975 北原ミレイ 「石狩挽歌」 作詞:なかにし礼 作曲:浜圭介


なかにし礼氏の自伝的小説「兄弟」が発表され、北野たけし主演でテレビドラマ化もされましたが、まさになかにし氏はこの「群来」を知っていたんですな。それでこの歌詞が生まれた。小生も小樽に叔父がいて、夏休みには毎年のように遊びに行っていたこともあって、この歌詞に描かれる小樽周辺の様子を懐かしく思い出します。
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海猫(ごめ)が鳴くから、ニシンが来ると  赤い筒袖(つっぽ)の、やん衆がさわぐ
雪に埋もれた、番屋の隅で  わたしゃ夜通し、飯を炊く
あれからニシンは、どこへ行ったやら  破れた網は、問い刺し網か
今じゃ浜辺で、オンボロロ  オンボロボロロー
沖を通るは、笠戸丸  わたしゃ涙で、ニシン曇りの、空を見る

燃えろ篝火(かがりび)、朝里(あさり)の浜に  海は銀色、ニシンの空よ
ソーラン節に、頬そめながら  わたしゃ大漁の、網を曳(ひ)く
あれからニシンは、どこへ行ったやら  オタモイ岬の、ニシン御殿も
今じゃさびれて、オンボロロ  オンボロボロロー
かわらぬものは、古代文字  わたしゃ涙で、娘ざかりの、夢を見る
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少しだけ余計な解説を・・・・。
「やん衆」とは、東北方面から春先のニシンの時期に出稼ぎに来ていた漁師達のこと。
「番屋」とは、交番ではなくて、海岸に作られた漁師の大きな住宅兼作業所のこと。
「笠戸丸」は第一回のブラジル移民船となった客船。昭和恐慌後には日本では食べていけなくなった農家の末弟たちを中心に南米への移民が積極的に行なわれました。かくいう小生の祖母の弟二人もブラジルに移民しました。彼等の生活はそれこそ血と汗にまみれたものだったと聞いています。そういうこともあって、「笠戸丸」という何気ない歌詞にもガシッと心をつかまれてしまうオヤジであります。

「朝里(あさり)」とは、小樽と札幌の間にある海岸です。JR函館本線を札幌側から行くと、「銭函(ぜにばこ)」→「張碓(はりうす:廃駅)」→「朝里(あさり)」と海岸が続き小樽市街へ入っていきます。そこから「塩谷(しおや 昭和42年のNHKの連ドラ:旅路の舞台)」→「蘭島(らんしま)」→「余市(よいち)」と海岸が続きます。

「オタモイ岬」とは、市街の北部に位置する断崖絶壁を背にする景勝地で、続く歌詞の「ニシン御殿」とは、昭和初期にオタモイ海岸にあった「龍宮閣」のことではないかと思います。切り立った岩肌と紺碧の海に囲まれて断崖に建てられた「龍宮閣」の威容は、京都の清水寺を凌ぐと絶賛され、お伽噺の龍宮城を彷彿とさせたといいます。最盛期には一日数千人もの人々がこの地を訪れたといわれていますが、戦争の勃発とともに施設は営業休止に。ところが終戦後、明日から営業再開という昭和27年5月10日、この「龍宮閣」は失火炎上 焼失してしまったのです。今では影も形もありません。

小生も小学生の頃、叔父に連れられてこの「オタモイ岬」に海水浴に行きました。なにせ断崖絶壁ですから、山側から草木が生い茂る道なき道を降りていくのですが、途中に不気味な祠があるきりで、他に何も無く、とにかくドヨンと空気が澱んでいるような嫌な感じがする場所で、ちっとも楽しくなかった・・・という記憶があります。

「古代文字」とは、手宮洞窟で発見された刻画を指しています。手宮地区は小樽の中心街から北東に位置し、祝津水族館のある高島岬に向かうルートの途中にある地域ですが、この地の手宮洞窟で約1600年前の続縄文時代に刻まれたとされる刻画が見つかっています。これが文字なのかどうなのかは判然としない部分もあるようですが、それを当初発見した人々は「古代文字」と呼び、今でも通称は古代文字ということのようです。

最近の色々な考古学的な研究によって、東北や北海道地区には縄文時代の文明圏が存在していたのではないか?という学説も発表されています。それに照らしてみれば、この手宮洞窟の「古代文字」も当時の文明を示す貴重な資料かもしれません。

それと、この「石狩挽歌」の歌詞の解説は以下のサイトが非常に詳しいです。ご参考までに。
<小樽路地裏散歩 : →小樽あれこれ→石狩挽歌>

最近また鰊(ニシン)が獲れ始めてきているのですが、昔の鰊とはちょっと違うような気がするんですな。まず魚体が一回りか二回り小ぶりになっていること。焼き魚にすると、昔の鰊はジュウジュウと脂が焼けて煙がモウモウ・・・・だったと記憶しているんですが、最近の鰊は焼いてもちっとも脂が滴り落ちないんです・・・・。パサパサな感じになって、正直言ってあまり美味しいと思わないんですな。魚種が違ってしまったような不思議な感じです。大漁はおめでたいことなんですが、オヤジは小骨が嫌いなこともありまして、きっとあまり食べないと思います・・・・。


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