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2009.02.26 神様の質問
2月26日。晴れのち曇り。うーーんなかなか思うようにアタマと体が動いてくれません・・・・。こんな状態が結構長く続いているので、正直気分も滅入ってしまいます。

この間珍しくフリージアの花が売っていたので買って来ました。小生実はフリージアの花が結構お気に入りなんです。というのも香りが好みであることと、何と言っても切花でありながら、蕾がちゃんと最後まで花咲くからであります。なかなか他の花ではこうはいきません。この最後の蕾までしっかり花咲くというフリージアの生命力と言いますが、根性のようなものに勇気付けられるところが多々あります。

Flower001.jpg

先日夕方テレビでドラマ「ひとつ屋根の下2」の再放送を見ていました。その中で、主人公の弟で三男の和也(いしだ壱成)が、昔つるんでいたヤクザの友達と話をするシーンがありました。和也には恋心を寄せる彼女(松たか子)がいて、その彼女の弟(森田剛)がそのヤクザの手下になっているのですが、彼女から何とか弟をヤクザ組織から抜けさせて欲しいと頼まれ、ヤクザの友達と話をつけます。

そのとき和也は2つの条件をつけられます。その条件の一つが、彼女をそのヤクザの友達に抱かせること・・・・。もちろんこれは冗談で、彼女をヤクザが拉致して弟の目の前で強姦する芝居をする。そこに和也が現れて彼女を救い、弟にヤクザがいかに酷いものであるかを実感させることで足を洗わせようという、和也とヤクザの友達が決めた段取りだったのです。そして芝居は成功し、彼女の弟は足を洗うことが出来ました。

そしてその後、ヤクザの友達が真っ当な道を進もうとする和也の前から姿を消そうと、最後に和也に会いに来ます。そのとき、和也が聞きます。
「もう一つの条件って何だ?」 
ヤクザは「もういいんだ・・・。」と言うのですが、和也がしつこく食い下がるので根負けして言います。
「子供の童話でな、神様の質問っていうのがあって、ダチの名前が言えるかどうかで天国に行けるか決まるらしいんだ。一人でも名前が言えたら大丈夫らしいんだ・・・・。」そう言って口をつぐんだヤクザの友達に和也が言います。
「なら、俺の名前が言えるじゃん・・・・。」

長くなってしまいましたが、このエピソードを見てちょっと胸が締め付けられてしまいました。そして我が身をふり返ってみてしまいました。「オイラには名前を挙げられる友達が一人でもいるのだろうか?・・・・と。

また2月24日でしたか、2009年のアカデミー賞の授賞式があり、日本の映画「おくりびと(Departures)」がアカデミー外国語映画賞を獲得しました。この映画を小生は見ていないのですが、そのニュースでもちきりになっているのをテレビで見るにつけ、「自分が臨終を迎えたとき、見送ってくれる人はいるのだろうか・・・・?」と、またしても心もとない気分になりました。

荘子曰く、「君子の交わりは淡きこと水の若く、小人の交わりは甘きこと醴(あまざけ)の若し」 と言いますが、水のようなサラッとした関係であっても交わりは存在しているんですな。それに比べて小生のような隠遁生活をしているような者は、そもそも交わりがほとんど存在しないんです。何も小生自ら頑なに交わりを絶っているわけではないのですが、年を経るごとにどんどん減っていき、我が家を訪ねてくれる友人はほとんどいなくなりました。たまに訪問者があれば、宅配便か郵便局、あとはセールスや宗教の勧誘であります。

振り返れば、小学校、中学校、高校、大学・・・・そして会社と、その時その時でかなり濃密な人間関係を築いてきたと思います。特に高校・大学あたりでは一生モノの友達ができたと思いました。その後進んだ道は違っていても、会えばすぐ昔に戻る・・・・。そんな感じで、「自分には親友と呼べる人間がいる。」と何の疑いも無く思ってきました。しかしカラダがなかなか言うことを聞いてくれなくなり、自宅にこもりきりの状態になって、同窓会や同期会などにも出席できなくなると、途端に交流がガタ減りしました。まして北海道に引き揚げてきてからはそれがより顕著になり、こちらから連絡しなければ友達から連絡をくれることも無くなってきて、1通の年賀状も届かなくなったときには、さすがに寂しさを感じました。

それもこれも、小生自身の身から出た錆と言えるのかもしれませんな。小生という人間自体に問題があるから友達が去っていった・・・・。去ったというほど積極的ではなくても、近寄りたいとも思われなくなったということなのでしょう。これは自分自身の人間としての底の浅さを見せ付けられているようで、結構キツイものであります。

頻繁に連絡を取らなくても、それでも友達は友達だ・・・。という考え方もあるでしょう。それは余程その人間関係に確固たる信頼を置いているからこそ言えるのでしょうが、じゃあ友達って一体何なんでしょうかね? 分からなくなってきました。何年も音信不通でも友達は友達なんでしょうかね?小生はやっぱり時折交わりがあって、人生の時々でお互いに胸のうちを相談しあったり、励ましあったりしてこそ友達なんじゃないかと思うんです。いかに濃密な人間関係を築いたとしても、会わぬまま時が過ぎるうちに、親友が友達になり、友達が知り合いになり・・・・・というように、心の密度がどんどん疎になっていくのが人の常ではないでしょうか?

だからこそみんな元気でいなければならないんですな。お互いに元気だからこそ酒も酌み交わせるし、楽しい時間を共有できるのです。それができなくなったとき、友達関係を維持していくのはかなり難しいことだというのが実感です。また友達関係を維持していくためには、相手からの接触を待つのではなく、自分のほうから時折電話をしたり、手紙を書いたり、それなりの努力が必要だとも実感しています。それをサボるとあっという間に疎遠になってしまうものです。(その人によって程度の差はあるとは思いますが・・・・。)

一つだけ間違いなく言えることは、「いくら自分があいつは俺の友達だと思っても、相手がそう思っていなければ、それは友達ではない・・・・。」ということ。こういったものの考え方はオヤジの間違いでしょうかね? ですから最初に戻って、神様の質問「あなたには真の友達はいますか?」 やはり小生は返答に窮してしまいます。相手がどう思っているか確認もできない・・・・。こんな今の状況では結局この質問には答えられないんじゃないかと思います。となると小生は「地獄行き決定!」ということなんでしょうね。この世も地獄、あの世も地獄となると、これまたキビシイですなあ・・・・。大泣き

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