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1月31日。曇り。寒いであります。とにかく寒いであります。つい先日までとは打って変わって、まさに氷の世界です。最高気温がおそらくマイナス4度くらい。最低気温はマイナス10度くらいでしょうか・・・・。久方ぶりにカラダが自然と縮こまるくらい寒いであります。

そろそろ世間では受験シーズンが本格化するんですね。受験生は大変です。小生も数年に1度くらいは受験の夢や卒業試験の夢を見ることがあります。表面意識ではさほどストレスとは感じていなかったようでも、深いところではかなりの負荷になっていたんでしょうね。しかし人生というのは実に逆説的なもので、「自分にとって最善はこの道だ・・・・」と思っても結果は必ずしもそうではないことのほうが多いような気がします。じゃあ右と左に道が分かれていたとき、自分が「右だ!」と選択してその道を歩いた結果が芳しくなかったからといって、時間を巻き戻して「左」の道を歩めば「右」に行ったときよりも幸せになったのか?となると、これまたそうでもない・・・・という結果が待っているような気もします。

デカルト以来の西洋型合理主義的な思考がいかにも科学的であるかのような錯覚に基づいて、今の社会はそれを常識的思考と考えているようですが、それは大いなる誤りだということに早く気付いたほうが良いと感じています。つまり客観的な条件が同じであれば、努力を重ねた人間のほうが幸せになれる・・・・などと思ったら大間違いだということです。なぜなら、そもそも個々の人間というものは、大前提の「客観的な条件が全く同じ」などということはありえないからであります。

世の中の教育ママゴンはこのことを全く理解していないのだと思うんですな。一生懸命勉強して、いい高校・いい大学に入り、有名大企業に就職すれば幸せが待っている・・・・と思い込んでいる。非正規雇用がこれだけ普及して、それが不況の波に直面した途端あっという間にクビを切られ、一瞬にしてホームレスになるような今の社会を目の当たりにすれば、いい会社やお役所に就職すればそのような悲惨な状況にはならないと、ますます勝ち組入りを加速させているかもしれませんが、人間の幸・不幸というものは職を失うことだけではないのです。職の前に「命」を失うことだってあるわけです。

残念なことながら、人間がいくら努力しても越えることの出来ない壁が厳然として存在する・・・・。それは間違いの無いことだと思うんです。小生は「だから努力をすることに意味が無い。努力などせずに享楽的に生きれば良い・・・・。」と言っているわけではないんです。そうではなくて、「努力は貴重なものをその人間に与えてくれる。しかしそれをもって幸せになれるという保証はどこにもない。」ということなのであります。それを「努力し続ければ必ず幸せな境涯に達する。」として努力を過度に礼賛するのはちょっと違うんじゃないかと思うわけです。

しかもここでいう努力とは、競争原理に支配されている現代社会においては、ライバルに打ち勝って自分だけが勝利するという極めて利己的な目的を達成するための努力を意味しています。その努力がもたらした世界が今の有様です。厳しい競争を勝ち抜いて良い学校を出て良い企業に就職した秀才たちが今度はマーケットと呼ばれる金融賭博場で生き馬の目を抜くような競争を繰り広げてきたわけです。そしてそれだけでは飽き足らず無謀にもバブルを創り上げ、そこで巨額の利益をあげつつ自分だけはリスクを蒙らないようにと必死の努力を傾けてきたわけです。しかし結果的にそれはうまくいかなかった・・・・。それどころか世界を破局へと導きかねない甚大な危機をもたらしたわけです。

何がまずかったのか? どのあたりからおかしくなったのか?

突き詰めて言ってしまえば、「人間がいくら努力しても越えることの出来ない壁が厳然として存在する。」という謙虚さを失ってしまったことがまずかった。そして、「自分が利益を得るためには他者を犠牲にしてもやむを得ない。」という利己的な考えに支配されだしたあたりからおかしくなっていったのではないでしょうかね・・・・。

このあたりの認識(現代社会の常識的価値観)を改めない限り、今直面しいている危機から抜け出すことは難しいのではないかと思うとります。オバマ新大統領はこの危機に当たって、国民・市民一人一人の責務ということを掲げ、その団結によって危機を乗り切ることは可能だと言いました。それはそれで立派な考えであるとは思いますが、小生はそれだけではダメなような気がしています。行き詰った現代社会の常識的価値観をチェンジすることなしに今の危機を乗り切ることは難しいのではないかと思うのであります。

これはなかなか西洋社会の合理精神では越えられないかもしれません。東洋型の叡智が必要になってくるようにも思います。

こんな中で、今までの価値観の延長線上でまた受験が行なわれるのです。一生懸命勉強して知識を身につけることに価値があるのであって、合格すること自体にはほとんど価値はないと考えることが出来るのかどうか? これが行き詰った現代社会の常識的価値観をチェンジできるかどうかの一つの例なのかなとも思います。

小学校からお受験をして有名私立学校へ通わせたり、良い学校を出て良い企業に就職させることが親としての務めだなどという勘違いから一日も早く抜け出し、親は子供に「強くたくましく生き抜いていく力」、「自立すること」、「社会の中で助け合い、強調して生きていくこと」が何よりも大切なことなのだということをしっかり教えてあげて欲しいと願うものであります。

それにしても小学校や中学校で、学校への携帯電話の持込みを禁止するとか許可するとかが話題になっていますが、何ともレベルの低いところでガチャガチャやっているのか・・・・と呆れています。学校に携帯電話が必要かどうかは誰が考えたって答えは明らかです。NOであります。それを何やらかんやら屁理屈をつけて必要だと主張する親は、要は自分が子供に嫌われたくないために幼稚な子供の要求をそのまま受け容れ、大人の立場で理屈にもならない理屈をこねて学校側に要求しているだけのこと・・・・。そんなバカ親が幅を利かせていること自体が、この世の中がおかしくなっているということの証左に他ならないのかなと思わされます。

「毅然として筋を通す」ことが、このおかしくなった社会を再生させるための一つのキーワードかもしれませんね。

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