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12月2日 晴れのち曇り時々雨・・・・。週末に一度戻ってきた寒気があっさり姿を消し、今度はいきなり最高気温が10度になろうかという暖気です。以前気象庁の3ヶ月予想では12月は寒さが厳しく、1月は比較的暖かい・・・・と言っていましたが、これもあてになりそうもありません。

地球温暖化というものは、平均気温でみればジリジリと上昇傾向を示すものの、短期的気候変動が激しくなるという解説があったように思います。そう考えると、このところのようにマイナス10度になったかと思いきや翌日一気にプラス10度になるなんてのも、地球温暖化の一つの現象なのかもしれません。

しかし、マイナス10度の気候から一気にプラス10度の気候になるというのは、シンドイものです。小生は自律神経の調整能力が低いので、このような状況にはうまく対応できず、今日などは「ひねもす のたり のたりかな・・・・」の有様でありました。


さてさて本日もいきましょうか。60年代ポップス・非英語編第八弾。一応これでこのシリーズは打ち止めにしたいと思っています^^。最終回はイタリアからまたフランスに戻ります。

で、本日ご紹介するのが、1969 Daniele Vidal 「Les Champs-Elysées :オー・シャンゼリゼ」

D_Vidal01s.jpg


これまたアラウンド50の方々にとっては、耳に馴染みのある曲の一つではないかと思います。

歌うはダニエル・ビダル。身長150数センチの小柄な身体で、フランス人形のようなブロンドヘアと青い大きな瞳の彼女は、まさに日本人が思い描くフランスの女の子というイメージそのものでした。柔らかい声質で、全盛期のイエイエ・アイドル達と違って声量豊かで歌も上手かった・・・・。そして話すカタコトの日本語が、日本のおのこたちを「ポーッ」とさせたものです^^。

懐かしい彼女の歌声とおフランスの香りを感じてみましょう・・・・。

1969 Daniele Vidal 「Les Champs-Elysées :オー・シャンゼリゼ」

しかし、しかし、この「オー・シャンゼリゼ」とそれを歌う「ダニエル・ビダル」には、日本人が思っていたのとは全く違う事実があったようです。

まず楽曲としての「オー・シャンゼリゼ」ですが、「枯葉」や「パリの空の下(セーヌは流れる)」などと同列のいわゆるモダン・シャンソンの定番という印象がありますが、実はフランス産ではなかったんですな。

いつもお世話になっているS.Hideさんの「なつメロ英語オールディーズ」に、実に詳細にその事情が書かれています。詳しいことはそちらをご覧いただくとして、かいつまんで言えば、この楽曲のオリジナルは、イギリス人のマイク・ウィルシュ(Mike Wilsh)とマイク・ディ-ガン( Mike Deighan)により書かれたもので、 「オー・シャンゼリゼ」はそのフランス語版のカバー・バージョンだった・・・・ということ。

オリジナルのタイトルは Waterloo Road 『ウォータルー・ロード』(1968年)。 そしてそれを歌ったのはJason Crest (ジェイソン・クレスト)という5人組のサイケ・バンドだったいうから驚きです。このイギリスの歌を、当時ロンドンに滞在していたフランスの人気歌手ジョー・ダッサンが聴いて、非常に気に入って自身のアルバムに収めることにした・・・・。 こうして「Down Waterloo road」はフランスの作詞家ピエール・デラノエ(Pierre Delanoë)によって「Aux Champs-Elysées」に生まれ変わったのでした。

そしてこの「オー・シャンゼリゼ」はジョー・ダッサンの最大のヒット曲となり、かのダニエル・ビダルが再カバーをした・・・・・ということのようです。

次の新事実は「ダニエル・ビダル Daniele Vidal」本人についてです。

誰もがフランス生れの女の子だと信じて疑わなかった彼女ですが、実は1952年のモロッコ生まれだったということです。もっとも北アフリカはフランスが植民地支配していた土地なので、フランス系という意味ではその通りですが、生粋のフランス娘ということではなかったんですな。ついついあの<カサブランカ>を思い描いてしまいました。

それともう一点は、あれだけ可愛らしくて歌もうまい女の子だから、当然フランス本国でもヒットして日本にやってきたのだろう・・・・・と思っていたらそれが大違い。

1969年17歳で「Aime ceux qui t'aiment(汝を愛する者たちを愛せ:直訳)」というレコードを出して歌手デビューしたものの、カバー曲であったうえ、フランスでは発売されていません。そして「天使のらくがき」という全く別の邦題を付けられて日本で発売したところ大ヒットとなり、彼女の活動の舞台は日本に置かれることになったそうです。逆に言えば、本国フランスではほとんどその名を知られていない・・・・ということらしいです。

しかしながら、日本での人気は大したもので、その後も「カトリーヌ」「私はシャンソン」「ピノキオ」など立て続けにヒット曲を出しました。また<カタコト日本語版>として「小さな鳩」や「チャオ・ベラ・チャオ」などのシングル盤もリリースされました。

その後日本人男性と結婚して、お子さんをもうけられたようです。

いずれにしろ、日本でのみ大活躍したフランスの女の子だったということですな。今でも黒人演歌歌手のジェロさんが話題になっていますが、思い起こせば昔もそういう外人歌手やタレントさんがいましたねえ・・・・・。例えばインド人の演歌歌手のチャダさん、千昌夫の奥さんだったジョーン・シェパードさん、シェリーちゃん、マギー・ミネンコちゃん・・・・。

んーーーー、やっぱり懐かしいかも。kao04

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