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11月18日 早いものですねえ。もう11月も半分を過ぎてしまいました・・・・。

天気予報では今日から雪ということだったのですが、雪は1日ずれ込んだみたいです。でも空には低く重たい雪を含んだ雲が西から次から次と流れ込んできて、暗鬱な空でした。明日はいきなり吹雪になるかもしれません・・・・・kao06

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さてもさても今日も物騒なニュースが飛び込んできました。というわけで今日予定していた音楽のお話はまた後日ということで・・・・。

本題です。
本日、厚生労働省の二人の元事務次官の家に何者かが侵入し、埼玉では元事務次官とその奥さんを殺害。中野区では元事務次官の奥さんが刺されて重傷・・・・・。

いよいよ何かが爆発し始める前触れのような不気味さがあります。たまたま昨日お話した日本人の闘争型の血が騒ぎだし、ヤケッパチになって無謀な暴力への暴走が始まるのか・・・・?

誰の目から見たって、今回の事件には犯人の特定の意図が感じられます。両被害者が厚生労働省で今の年金制度の設計に深くかかわった人物であること。介護保険制度の創設にも深く関与した人物であること、社会保険庁長官を務めた経歴があること・・・・。

ただNHKをはじめとするマスコミも政府関係者も、国会議員もみんながみんな「テロ」という言葉を使っているのことに対して、どうも小生はしっくりしないんです。

もちろん殺人という行為を認めるものではないし、あってはならないことだという点には異論ないのですが、ここで行なわれていることが「テロ」なんだろうか?というのが率直な感想です。

「そもそも<テロ>という言葉の定義は何なんだろうか?」という素朴な疑問がわいてきました。「テロ」という言葉に対する小生のイメージと今回の事件とはどうも一致しないんです。今回の事件はいわば連続「暗殺」事件であって「テロ」事件とは違うんじゃないか・・・・・・?

ということで、ちょっとWikipediaで調べてみました。

やはり定義ひとつとっても、この言葉は結構複雑で、単純なものではないということが分かりました。

日本の国内法においては「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で多数の人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊する行為」(自衛隊法81条の2第1項)など複数の文言がある・・・・・そうであります。

仮にこの自衛隊法の定義に従えば、今回の事件は「政治上その他の主義主張」をアピールするというものとはちょっと違うし、「社会に不安若しくは恐怖を与える目的で多数の人を殺傷」というのもちょっと違うように思います。

そう考えると、マスコミうをはじめとして安直に「テロ」という言葉を使うのはどうなんでしょう?

Wikipediaにはこのような記述もありました。

一般的に、テロリズムは「非難される行為」と位置づけられる。また同時に、テロリズムは「周知されることで恐怖心を呼び起こすもの」である。この点において狭義の意味での暗殺とは異なる。直接の攻撃対象以外である大衆を操作・支配する目的で無差別に、あるいは象徴的な人物を攻撃する手段は、強い道徳的・倫理的非難の対象となる。

そのため、「テロリズム」という言葉の持つ、強い反道徳性・反倫理性を活用するかたちで、「自らとは異なる立場に立つ者のアピールや実力行使」に対して、「それはテロリズムである」というレッテル(ラベル)を貼るという方法で、非難を行うという方法論・戦術がある(プロパガンダ)。
この非難の対象とされるものには、しばしば政治的アピールや非暴力直接行動などが含まれる。歴史的にも労働運動やマハトマ・ガンディーの非暴力不服従運動をイギリス政府はテロリズムと位置づけた。


やっぱり今回の事件が「テロ」と呼ばれることに小生は違和感を感じます。

何度も言いますが、殺人事件は決して許されるものではありませんし、誰がどんな目的で犯行に及んだのかもわからないので軽々なことは言えませんが、今回の事件から受けた一番正直な印象は「天誅」というものでした。

穴だらけの年金制度や社会保険庁の不祥事、介護保険制度や医療保険制度の破綻、加えて薬害問題・・・・。厚生労働省の失敗は目に余るものがあります。そのあおりを受けて低所得者層の国民生活は悲惨な状態になっています。しかるに社会をそのようにぶっ壊した役人OB本人は、うまいこと天下りを繰り返し、のうのうヌクヌクと老後の生活を送っている・・・・。それではあまりにも無責任であり、アンフェアである・・・・。

にもかかわらず、政治家も司法制度もそのアンフェアを正そうとしない・・・・。

少なくとも今回の事件を受けて、厚生労働省の高級官僚やOBは枕を高くして眠れない日々が続く可能性があります。これが正しいやり方ではないのは重々承知しながらも、小生はどこかで「自業自得じゃないの・・・・・」という気分を拭い去ることは出来ません。

国民の中にも同じような気持ちを持たれている方は結構いるのではないかと思います。

できることなら殺すのではなく、キツーイお仕置きという形でやってもらいたかった・・・・。
そうすれば、かつての鼠小僧次郎吉のように大衆の支持が得られたかもしれません。

でも高級官僚のOBさんたちは、既に公務員でもなく一民間人であってもしっかり警察の警護が受けられるんですね。一般国民なら相手にもされないでしょうに・・・・・。
警護が必要なら、自腹を切って警備会社に警護してもらうのが筋じゃないのかとも思うのですが、もうそのへんから間違ってるんじゃないのかな・・・・・。

2008.11.19 追記

今日になってどの新聞もどのテレビ局も、「テロ」「テロ」の大合唱です。厚生労働省時代に殺害された次官の直属の部下だった元宮城県知事をはじめ、多くの政治家が、「国家秩序を乱し国の権威に対する挑戦だ・・・・」的な論調で非難の声を上げていますが、やはり小生には違和感が残っています。

よくよく思い出してみると、オウム真理教が引き起こしたあの「地下鉄サリン事件」ですら、「テロ」とは呼ばれていなかったんです。長崎市長が殺害された事件でも、国松元警察庁長官銃撃事件(未解決)だって「テロ」とは呼ばれなかった・・・・。

今回の事件は確かに元厚生省の事務次官を狙った卑劣なものではありますが、それが当日のうちに「テロ」という言葉が使われました。彼らはすでに国家組織の一員ではない民間人です。でも一般市民とは明らかに違う階級の存在だということなのでしょう。

かつて「地下鉄サリン事件」で一般市民が多数犠牲になっても、それに対する行為は「テロ」扱いされず、元高級官僚が連続して殺害されたら、それは即座に「テロ」・・・・・。

こう見てくると、日本と言う国は表面上は平等なように見えていても、実はしっかりピラミッド構造が出来上がっているということなんでしょうね。あるレベル以上の上流階級が傷つけられたら「テロ」で、下層階級が多数犠牲になっても「テロ」ではない・・・・・。

今回「テロ」という言葉が使われることによって、今までさんざん膿の塊みたいに言われてきた官僚機構や政官癒着構造があたかも神聖で、絶対に守り通さなければならないものであるかのような印象を国民に与えていますよね。

まさに「それはテロリズムである」というレッテルを貼ることで、その言葉の持つ強い反道徳性・反倫理性を活用して犯人を非難し、自らの立場を正当化するという方法論・戦術」そのものじゃないか・・・・という気がします。

せめて一紙くらい、一社くらい、独自の見解でこの事件を報道するところがあって欲しいと思っていましたが、その期待は泡と消えました。

やっぱり今は亡き筑紫さんがおっしゃったように「日本のジャーナリズムは死んだ・・・・。」のかな。

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