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2010.05.05
北山修氏の教授退官コンサート
5月2日の夕方、NHKBSで北山修氏の九州大学教授退官記念コンサートが放送されていて、それを偶然見ることができました。このコンサートの開催日3月21日は加藤氏が亡くなる以前から計画されていて、本来なら加藤氏が先頭に立ってこの場にいるはずだったのに・・・・と北山修氏は淋しそうに言っていました。そしてこの3月21日は奇しくも故加藤和彦氏の誕生日だったそうです。
そういえばあの10月17日に亡くなったんだよなあ。
いえね、2009年10月17日というのは小生にとっても思いで深い日なんです。37年ぶりに中学の仲間が卒業後初めて再会を果たした日・・・・・。
ちょうどわれわれ世代はフォーククルセダーズの強烈な影響を小学校高学年で受けました。それまで「恋だ、酒場だ、なんだかんだ」という歌謡曲しか知らなかったガキンチョが、「オラは死んじまっただー」という強烈なナンセンス・シャワーを浴びたわけです。それはそれは鮮烈なカルチャーショックでありました。そんなフォーククルセダーズですがメジャーデビューから1年後にあっという間に解散してしまったのであります。その登場と退場っぷりはあまりにも鮮烈で、以来フォーククルセダーズは我々ガキンチョにとっては一種神がかった存在となったのでありました。
小生なんぞは北山修氏に憧れて、一時は精神科医の道を志し京都の大学への進学を望んだものの、物理の実力テストで0点を取り、担当教諭から「悪いことは言わん、理系はあきらめろ」の言葉であっけなく進路変更となりました。しかし京都への思い断ちがたく一浪後受験するも、こちらも「お前の実力ではダメダー」との厳しい現実に直面し挫折・・・・・。
中学時代の文化祭でフォークルの「青年は荒野をめざす」をギター片手で歌ったガキンチョは、そんなこんなを経験しつつ、37年後にもまた「悲しくてやりきれない」を歌おうと、数ヶ月間一生懸命ギターの練習をしてきたのでありました。
そして迎えた2009年10月17日。夕方そろそろ会場に行かないとと準備をしていた小生の耳にテレビのニュースの音が飛び込んでしました。「本日、音楽家の加藤和彦氏が軽井沢で亡くなっていることが確認されました・・・・・。」
37年ぶりに再会を果たしたその2次会、幹事の余興として歌うはずだった「悲しくてやりきれない」は、加藤和彦氏を追悼する歌になってしまいました。
テレビの北山修氏のコンサートを見ながらそんなことを思い出して、一度も会ったこともない加藤和彦氏ではありますが、どこかで縁がつながっていたのかな?と何とも不思議な感覚になりました。
故 加藤和彦氏の御霊が安らからんことをお祈りします。合掌。
そういえばあの10月17日に亡くなったんだよなあ。
いえね、2009年10月17日というのは小生にとっても思いで深い日なんです。37年ぶりに中学の仲間が卒業後初めて再会を果たした日・・・・・。
ちょうどわれわれ世代はフォーククルセダーズの強烈な影響を小学校高学年で受けました。それまで「恋だ、酒場だ、なんだかんだ」という歌謡曲しか知らなかったガキンチョが、「オラは死んじまっただー」という強烈なナンセンス・シャワーを浴びたわけです。それはそれは鮮烈なカルチャーショックでありました。そんなフォーククルセダーズですがメジャーデビューから1年後にあっという間に解散してしまったのであります。その登場と退場っぷりはあまりにも鮮烈で、以来フォーククルセダーズは我々ガキンチョにとっては一種神がかった存在となったのでありました。
小生なんぞは北山修氏に憧れて、一時は精神科医の道を志し京都の大学への進学を望んだものの、物理の実力テストで0点を取り、担当教諭から「悪いことは言わん、理系はあきらめろ」の言葉であっけなく進路変更となりました。しかし京都への思い断ちがたく一浪後受験するも、こちらも「お前の実力ではダメダー」との厳しい現実に直面し挫折・・・・・。
中学時代の文化祭でフォークルの「青年は荒野をめざす」をギター片手で歌ったガキンチョは、そんなこんなを経験しつつ、37年後にもまた「悲しくてやりきれない」を歌おうと、数ヶ月間一生懸命ギターの練習をしてきたのでありました。
そして迎えた2009年10月17日。夕方そろそろ会場に行かないとと準備をしていた小生の耳にテレビのニュースの音が飛び込んでしました。「本日、音楽家の加藤和彦氏が軽井沢で亡くなっていることが確認されました・・・・・。」
37年ぶりに再会を果たしたその2次会、幹事の余興として歌うはずだった「悲しくてやりきれない」は、加藤和彦氏を追悼する歌になってしまいました。
テレビの北山修氏のコンサートを見ながらそんなことを思い出して、一度も会ったこともない加藤和彦氏ではありますが、どこかで縁がつながっていたのかな?と何とも不思議な感覚になりました。
故 加藤和彦氏の御霊が安らからんことをお祈りします。合掌。
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2010.05.01
ギャラクシー賞
いやいや時間の過ぎるのは本当に速いものです。
前回の記事が1月末日。そして今日は4月末日。まるまる3ヶ月放ったらかしていたことになります。毎日のように更新していた頃を考えると、隔世の感があります。
時間というのは絶対的なものだと私たちは思いがちですが、実は感覚という面からみれば相対的なものなんじゃないかな?と何とはなく思っていたのですが、ある日NHKの「爆笑問題のニッポンの教養『爆笑学問』」を見ていたら、ベストセラー「ゾウの時間ネズミの時間」の著者でナマコ研究の世界的権威、本川達雄東京工大教授が面白い話をしていました。それは「ゾウの時間とネズミの時間は違う」ということでした。「動物はそれぞれ違った時間を生きていて、それはエネルギーの消費量と因果関係がある。」ということでした。つまり「多くのエネルギーを消費する生き物ほど、体内で流れる時間は早い。」という結論でした。
エネルギー消費量を心拍数として考えてみると、心臓が1回ドキンと打つ時間(心周期)が、ヒトの場合はおよそ1秒、ハツカネズミなどの心拍数はものすごく速くて1分間に600回から700回。心周期は0.1秒しかかからない。ちなみに普通のネズミは0.2秒、ネコで0.3秒、ウマで2秒、そしてゾウだと3秒かかるとのこと。そしてこういった時間と体重との関係を考えてみると、どれも体重が重くなるにつれ、だいたいその4分の1(0.25)乗に比例して時間が長くなるということが分かっているとのこと。つまり、体のサイズの大きい動物ほど、心周期も呼吸も筋肉の動きなんかもゆっくりになっていくということらしいです。そうなると、ナマコなんかはものすごく心周期が長い。人間時間での1日がナマコにとっては1時間に過ぎないなんてことになってくるとのことです。
「こいつらちっとも動かないな」と人間が思っていても、上の例に沿って考えると、人間が10分間観察している時間は、ナマコにとっては24分の1だから、25秒しか経っていないことになるわけです。
まあ小生とて一応人間ですから、ナマコ自身の感覚は良くわかりません。そこでこの説を人間にあてはめたらどうなんだろう?と思いました。子供の頃は1日1日が長く感じたのに、今はあっという間に時間が過ぎてしまうのはどうしてなんでしょうか? おそらく子供の頃のほうが心周期は短く、年をとるにしたがって動きも鈍くなるわけで心周期は長いのだろうと思います。平均的な心周期を1秒として、子供の頃はそれが半分の0.5秒、年をとったときは2秒と仮定すると、平均的な人間が過ごす24時間は、子供にとっては2倍の48時間に相当し、年寄りにとっては半分の12時間に相当するということになるのでしょうかね?
そうなると、半分の12時間しか経ってないのに1日が終わるわけですから、そりゃあ時間の経つのは速いはずです。逆に言うと、それだけ小生自身の老化が進んでいる?ということにもつながります。ありゃりゃであります。
昨日何気なくテレビのローカルニュースを見ていたら、このブログでもさんざん取り上げたHTB(北海道テレビ放送)制作のドラマ「ミエルヒ」が2009年度ギャラクシー賞に入賞したということが報じられていました。「ミエルヒ」はギャラクシー賞のテレビ部門での入賞で、これから大賞が選ばれるとのことであります。テレビ部門は14作品が入選していますが、うち9作品はドキュメンタリー、2作品がバラエティ、ドラマが3作品選考されています。ドラマで入賞したのは「ミエルヒ」のほかは、日曜劇場「JIN 仁」(TBS)、深夜食堂(「深夜食堂」製作委員会)でした。
これはなかなか大したもんだと小生嬉しく思っております。昨今のテレビドラマとしては出色の出来栄えだと思っていて、一人応援団でやってきましたから(涙)。できることなら大賞をとってもらいたいけど、そこまで欲を出してはイカンと自らを戒めています。最終選考会は5月とのこと。何とも発表が楽しみであります。
■ギャラクシー賞
放送批評懇談会が日本の放送文化の質的な向上を願い、優秀番組・個人・団体を顕彰するために、1963年に創設。審査は放送批評懇談会会員から選ばれた選奨事業委員会が担当。賞の決定を第三者に委託する顕彰制度が多いなか、ギャラクシー賞は放送批評懇談会の会員が一貫して審査にあたり、賞の独立性を維持しつづけている。
2009年度ギャラクシー賞受賞(入選)作品一覧は こちら です。
前回の記事が1月末日。そして今日は4月末日。まるまる3ヶ月放ったらかしていたことになります。毎日のように更新していた頃を考えると、隔世の感があります。
時間というのは絶対的なものだと私たちは思いがちですが、実は感覚という面からみれば相対的なものなんじゃないかな?と何とはなく思っていたのですが、ある日NHKの「爆笑問題のニッポンの教養『爆笑学問』」を見ていたら、ベストセラー「ゾウの時間ネズミの時間」の著者でナマコ研究の世界的権威、本川達雄東京工大教授が面白い話をしていました。それは「ゾウの時間とネズミの時間は違う」ということでした。「動物はそれぞれ違った時間を生きていて、それはエネルギーの消費量と因果関係がある。」ということでした。つまり「多くのエネルギーを消費する生き物ほど、体内で流れる時間は早い。」という結論でした。
エネルギー消費量を心拍数として考えてみると、心臓が1回ドキンと打つ時間(心周期)が、ヒトの場合はおよそ1秒、ハツカネズミなどの心拍数はものすごく速くて1分間に600回から700回。心周期は0.1秒しかかからない。ちなみに普通のネズミは0.2秒、ネコで0.3秒、ウマで2秒、そしてゾウだと3秒かかるとのこと。そしてこういった時間と体重との関係を考えてみると、どれも体重が重くなるにつれ、だいたいその4分の1(0.25)乗に比例して時間が長くなるということが分かっているとのこと。つまり、体のサイズの大きい動物ほど、心周期も呼吸も筋肉の動きなんかもゆっくりになっていくということらしいです。そうなると、ナマコなんかはものすごく心周期が長い。人間時間での1日がナマコにとっては1時間に過ぎないなんてことになってくるとのことです。
「こいつらちっとも動かないな」と人間が思っていても、上の例に沿って考えると、人間が10分間観察している時間は、ナマコにとっては24分の1だから、25秒しか経っていないことになるわけです。
まあ小生とて一応人間ですから、ナマコ自身の感覚は良くわかりません。そこでこの説を人間にあてはめたらどうなんだろう?と思いました。子供の頃は1日1日が長く感じたのに、今はあっという間に時間が過ぎてしまうのはどうしてなんでしょうか? おそらく子供の頃のほうが心周期は短く、年をとるにしたがって動きも鈍くなるわけで心周期は長いのだろうと思います。平均的な心周期を1秒として、子供の頃はそれが半分の0.5秒、年をとったときは2秒と仮定すると、平均的な人間が過ごす24時間は、子供にとっては2倍の48時間に相当し、年寄りにとっては半分の12時間に相当するということになるのでしょうかね?
そうなると、半分の12時間しか経ってないのに1日が終わるわけですから、そりゃあ時間の経つのは速いはずです。逆に言うと、それだけ小生自身の老化が進んでいる?ということにもつながります。ありゃりゃであります。
昨日何気なくテレビのローカルニュースを見ていたら、このブログでもさんざん取り上げたHTB(北海道テレビ放送)制作のドラマ「ミエルヒ」が2009年度ギャラクシー賞に入賞したということが報じられていました。「ミエルヒ」はギャラクシー賞のテレビ部門での入賞で、これから大賞が選ばれるとのことであります。テレビ部門は14作品が入選していますが、うち9作品はドキュメンタリー、2作品がバラエティ、ドラマが3作品選考されています。ドラマで入賞したのは「ミエルヒ」のほかは、日曜劇場「JIN 仁」(TBS)、深夜食堂(「深夜食堂」製作委員会)でした。
これはなかなか大したもんだと小生嬉しく思っております。昨今のテレビドラマとしては出色の出来栄えだと思っていて、一人応援団でやってきましたから(涙)。できることなら大賞をとってもらいたいけど、そこまで欲を出してはイカンと自らを戒めています。最終選考会は5月とのこと。何とも発表が楽しみであります。
■ギャラクシー賞
放送批評懇談会が日本の放送文化の質的な向上を願い、優秀番組・個人・団体を顕彰するために、1963年に創設。審査は放送批評懇談会会員から選ばれた選奨事業委員会が担当。賞の決定を第三者に委託する顕彰制度が多いなか、ギャラクシー賞は放送批評懇談会の会員が一貫して審査にあたり、賞の独立性を維持しつづけている。
2009年度ギャラクシー賞受賞(入選)作品一覧は こちら です。
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