上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
4月29日。昭和の日って言うんですか?今は・・・・。オヤジにはどうしても天皇誕生日以外の何モノでありません。新しい祝日の呼び名や、祝日を特定日ではなく何月第何週の月曜日とするハッピーマンデーなどには関心が無いせいもあるのでしょうが、全く頭に入ってきません。どこをとっても正真正銘まさに昭和のオヤジであります。

しかし今日も気温が上がりました。ローカルTVでは「Tシャツ初日」と言っていました。明日はもっと気温が上がって今年初の夏日(最高気温25度超え)になるかもしれないとのことです。つい3・4日前には雪だったんじゃなかったっけ?

さて、今日は60年代末から70年代にかけての日本の歌謡曲(この表現が妥当かどうかわかりませんが・・・・)において、特殊な位置づけと支持を得ていたジャンルがあります。それが「アンダーグラウンド」。華やかでオシャレな昼の顔とも言うべき和製ポップスや、夜の盛り場での甘い男女の恋模様を歌ったムード歌謡、それらのいわば歌謡曲のメインストリームにドカッと対峙して存在していたのが夜の顔いや闇の顔ともいうべき「アンダーグラウンド」だったのかな・・・・と思います。実のところ良くわかりません。

その代表格が今日ご紹介する浅川マキ姉さんであります。この「アンダーグラウンド」の系譜に位置づけられるミュージシャンとしては、他にはハードロック転向以前のカルメン・マキ、三上寛、日本のホセ・フェリシアーノとも呼ばれた長谷川きよしなどがいたかと思います。また森田童子などもこの系譜に連なるのかもしれません。一口に「アンダーグラウンド」と言ってもその定義付けはなかなか難しいものです。ある人は<地下深くで蠢動する音楽> <光差す地上のみで生きる者はけして出会うことのない音楽、闇の中に眼を凝らした者だけがそれを掴むことのできる音楽> などと表現しています。とにかく共通点は自らの音楽のみならず、様々なものに対してこだわりが強く、独自の美意識を持っていてそれを貫き通していること。したがって商業的な成功を第一に考えるメジャー・レコード会社との間でトラブルになるケースも多かったようです。

どの曲をとっても「浅川マキ」ワールドで、それぞれに素晴らしく、数曲セレクトするのに悩みに悩みました。その結果まず聴いていただきたいのが標題曲「かもめ」であります。

1969 浅川マキ 「かもめ」


1969年7月1日に発売された彼女の事実上のメジャー・デビュー・シングルに収められた曲です。作詞は寺山修司氏、作曲はジャズのビッグバンド「ニューハード」の山木幸三郎氏であります。石川県の片田舎出身で高校卒業後 町役場で国民年金窓口係の職に就いた女の子が、程なくして歌手を目指して上京します。米軍キャンプやキャバレーをまわり、67年にムード歌謡「東京挽歌」でレコードデビューするも音楽の方向性等で事務所と決裂。そんな頃、異才寺山修司に見出され、彼の小屋であったアンダーグラウンド・シアター「蠍座」で三日間のワンマン公演を行い口コミでその名が浸透し始め、1969年「夜が明けたら」で再レコード・デビューを果たします。

当然のことのように、この頃の彼女は明らかに寺山修司ワールドのメンバーであって、音楽部門の表現者というような立場だったような感じもします。当時のアングラ演劇ブームの中、演劇本体のみならず、ポスターなどのアート部門やら衣装などのデザイン、そして音楽などで極めて個性的なアーティストが出現し独自の世界観を表現していました。例えば、横尾忠則しかり、赤瀬川原平しかり、宇野亜喜良しかり、篠原勝之しかり、及川正通しかり、コシノ・ジュンコしかり・・・・・。

1971 浅川マキ 「赤い橋」


作詞:北山修、作曲:山木幸三郎。しかし何とも暗い曲です。ただ小生にはこの曲の印象が実に鮮烈に記憶に残っているんです。何故だか全くわかりませんが、この言葉に表せないような哀しみのようなものに圧倒されたのかもしれません。詞を書いた北山修氏自身が一番衝撃を受けたんじゃないかと想像してしまいます。それくらいフォークル時代の彼はオチャラケでいました。浅川マキ姉さんの魔力によって、そのオチャラケの底にある心の澱を引きずり出されたような感じがしてしまいます。

1971 浅川マキ 「オールド・レインコート&ガソリン・アレイ」


71年12月31日新宿・紀伊國屋ホールでの年越しライブの模様を収録したLP「LIVE」に収録されている曲です。最初の「オールド・レインコート」は作詞:浅川マキ、作曲:ロッド・スチュワート。2曲目の「ガソリン・アレイ」は作詞:浅川マキ、 作曲:ディヴ・グルーシンの作品です。ロッド・スチュワートはご存知の通りあのロック・スターであり、ディヴ・グルーシンはジャズ・フュージョン界のコンポーザー・アレンジャーの第一人者です。そんな彼等の曲に浅川マキ自身が日本語で詞をあてはめた(訳したものではない)作品です。

バックを務めるのはピアノ:今田勝、ベース:稲葉国光、ドラムス:つのだひろ、ギター:萩原信義ら当時バリバリのジャズ・ミュージシャンで固められています。そうなると、浅川マキはジャズシンガーなんでしょうか・・・・・? それにしても浅川マキの歌といえば「暗ーーい。」と思っていたのですが、このライブを聴くとそんな枠では括れないのが良く分かりました。演奏者は実にくつろいで演奏しており、観客も心の底から楽しんでいる空気が音から漂っていますね。実はここでの最大の聴きモノは浅川マキのおしゃべりです。歌と違って案外明るくて、お客さんと楽しそうに会話しています。その話し方の雰囲気もちょっと上流家庭のオシャレなお姉さん風なんですな。正直意外でした。それこそがこの曲を選んだ一番の理由でもあります。

この他にもご紹介したい曲は目白押しですが、もう数曲下記リンクを列挙しておきます。お時間に余裕のある方はぜひぜひどうぞ・・・・。

・ふしあわせという名の猫・・・浅川マキ
・こんな風に過ぎて行くのなら
・ちっちゃな時から・・・浅川マキ
・裏窓・・・浅川マキ
・浅川マキ  朝日楼~朝日のあたる家~ "The House of the Rising Sun"
・浅川マキ - ピアニストを撃て (1971)
・夜が明けたら・・・浅川マキ

しかし浅川マキの歌を聴いていると、歌手としての基礎技術という視点ではある意味未熟なのかなとも思わされます。しかしそれを越えて余りある表現力というものが彼女にはある。それは間違いありません。それがそのあたりの流行歌手などとは存在感が桁外れに違う最大の要因であります。単純な小生などはすっかり浅川マキワールドに引きずり込まれてしまっています。そういえば高校のジャズ研の先輩が同級生のフォーク・グループにオリジナル曲を提供していたのですが、その曲の雰囲気がやけに大人びているなあと感じてはいたのですが、良く良く思い出してみると、それは浅川マキワールドに近いものだったような気がします。先輩は浅川マキの音楽に当時からしっかり影響を受けていたんだとやっと気が付いたオヤジでありました。

最後に「浅川マキ」とその音楽について、実にしっかりと分析し我々にもわかりやすく解説してくれているHPを見つけました。このサイトの記述を読むと、より以上に味わい深く「浅川マキワールド」を理解できるかもしれません。よろしければどうぞ・・・・。

まこりんさんのサイト 「歌謡曲の砦 浅川マキに思うつれづれ」



スポンサーサイト
4月28日。晴れただし寒風強し。庭の水仙もすっかり咲きました。と思ったら突然の雪で水仙や草花もさぞかしビックリしたことでしょう。特に十勝の中札内村(確か田中義剛の花畑牧場のあるあたり)ではこの5月直前のこの時期に何と一日で67センチもの積雪になった・・・・。同じ北海道に住む人間でありながらも、これにはビックリであります。幸いこちらでは積雪になることはありませんでしたが、今朝方も雪が舞いました。この時期の降雪は35年ぶりとのこと・・・・・。それで明日からは20度近くにまで気温が上昇すると言うんですから、まるでジェットコースターに乗っけられているようなもんです。

世界が豚インフルエンザで騒然とし始めましたね。今回はメキシコ発でしたが、アメリカと国境を接しているメキシコで起こったことで、隣国アメリカが巻き込まれ、患者数では既にメキシコを上回りそうな勢いです。アメリカは良くも悪くも世界の中心ですから、そこから世界各地にウイルスが広がるのは避けられそうにありません。今回の新型インフルエンザは毒性が低いというのが救いですね。何とか沈静化に向かって欲しいと願うばかりです。しかしそんなニューヨークでB747旅客機がマンハッタンを超低空飛行して「すわ!9.11の再来か?!」とパニックが起こった・・・・。と思ったらその飛行機は何とエアフォース・ワンで、PR用の写真撮影を行なっていたとのこと。しかしそれはニューヨーク市に伝えられていなかった。アメリカ政府も何を考えてんだか。どこの国も中央省庁の役人の世間知らずぶりは共通のようであります。

結構世界的には大変な時期に、「こんな脳天気なことをやっていていいのか?」という思いが頭を掠めないこともないのですが、それを振り切ってまたしても昔の歌謡曲をご紹介しようと思います。ここのところ洋楽を離れてすっかり歌謡曲にハマリ込んでいますが、もう少しだけ紹介しておきたい曲があるので、キリの良いところまで・・・・ということで。

本日ご紹介しますのは、1971年日本国中を席巻した ハニー・ナイツの「ふりむかないで」であります。この曲はエメロン・シャンプーのCMソングとして1971年から72年のテレビから流れなかった日はないのではないか・・・・?という次第で、誰もが一度ならず必ず耳にした曲。その意味ではレコード売上などとは別の意味で、当時(ひょっとしたら日本の音楽史上)国民に最も認知された曲だったのではないかと思うとります。

1971 ハニー・ナイツ 「ふりむかないで」

hunnyknights01.jpg  以下をクリックしてお聴きください。
  Youtube:ハニー・ナイツ ふりむかないで
  
  作詞:池田友彦 作曲:小林亜星 編曲:筒井広志



当時を知っている方なら、「ああ、あれね。」という感覚かと思います。街頭で道行く女性に「ちょっとふりむいてもらえますか?」とマイクを向け、その反応をそのままテレビで流すエメロン・シャンプーのCMは画期的なものでした。TVというメディアに「ど素人」が出ることなど考えられなかったあの時代に、本当に街を歩いている普通の女の子が登場するということは斬新この上ないことでした。ヤラセがあったのか無かったのかはわかりませんが、多くのケースではいきなり声をかけられた驚きと、恥じらいいに満ちた反応が多く、素人ならではの新鮮さが間違いなくありました。でも「後姿の素敵な貴女」に声をかけるのですから、振り返ったら「おっと、ゴメンナサイ・・・・」というケースもあったのではないかと余計なことを考えるオヤジであります。そういえば「バック・シャン」なる言葉もありましたねえ。あれもこのCMが火付け役だったのかな・・・・?

さて、CMの斬新さはもとより、実は楽曲としてもこの「ふりむかないで」はなかなかのモノではないかと思います。曲自体は16小節ワンコーラスで、それが延々と繰り返されるというシンプルなものなのですが、次から次と背景の土地を変えていく(ご当地ソング的)歌詞とも相俟って、ちっとも飽きさせないんですね。ある意味12小節ワンコーラスで延々と歌われるブルース形式のようでもあります。作曲者は小林亜星。さすがのお仕事であります。因みにこの曲はご当地ソングとして72番まで歌詞があるそうです。(日本記録モノかもしれない) アルバム・バージョンでは12番までが録音されていて、シングルでは6番まで・・・・ということらしいです。(しかしEP盤のレコードジャケットには、歌詞だけは9番まで書かれているという話も・・・・。)

それにしても、「ふりむかないで」というタイトルの名曲は結構ありますね。小生の知っているだけでもザ・ピーナツ、シモンズにそれぞれありますし、かなり後になって角松敏生なんかの曲にもあるようです。それぞれが結構名曲だったりするのも面白いところです^^。

最後に歌っている「ハニー・ナイツ」ですが、これって日本の歌謡曲ならではのムード歌謡グループなのでしょうか?メンバーは葵まさひこ(リードシンガー)、宍戸二郎(セカンドテナー)、赤間寛(バリトン)、野村忠久(バス)の4人編成。編成を見ると、和田弘とマヒナスターズや黒沢明とロス・プリモスなどのムード歌謡グループと言うよりも、合唱畑出身のダークダックスやデューク・エイセス、ボニージャックスなどのコーラス・グループに近い存在だったのかもしれませんね。ただ、歌謡曲としてヒットしたものは残念ながらほとんど無く、多くはCMソングであり、アニメや特撮モノの主題歌で名曲を残しているようです。 「サスケ」の主題歌や「妖怪人間ベム」の主題歌を歌っていたとは知りませんでした。それから放送禁止曲とされていた「オー・チンチン(作詞:里吉しげみ、作曲:小林亜星)」を歌っていたのも彼らだったんですネエ・・・・。

いずれにせよ、この曲は当時の日本の明るい面を思い出させます。しかしそれとは間逆の暗ーい暗ーい楽曲も根強い人気があったんです。次回はそのあたりなどを・・・・。


4月26日。雨時々雪。天気予報どおり寒い一日になりました。夕方にはこの時期にもかかわらず雪が舞いました。何と言うことでしょう・・・・・。あすも寒気は居残り、雪もちらつくみたいです。

しかし毎日いろいろなニュースが飛び込んできますね。

まずは、あの和歌山カレー殺人事件の林真須美被告が最高裁で死刑判決。決定的な物的証拠がなく、状況証拠の積み重ねの中での死刑判決。うーーん、確かに林真須美被告のあのふてぶてしさや、砒素を利用した常習的な詐欺行為という背景・マスコミの格好の餌食的な素材という要素もあって、いかにも毒婦というイメージを小生なんぞも刷り込まれているような気がしますが、動機も判然としない中で死刑とは・・・・。一応科学捜査の結果、林真須美被告が所持していた砒素とカレー鍋に残留していた砒素がその化学的成分からして同一のものと判定されるという裏づけがあるらしいですが、これとても絶対間違いないものなのか・・・・・?

そんな中、1990年の足利事件の再審請求即時抗告審で、東京高裁が専門家に委嘱したDNA型の再鑑定の結果、どうも受刑者と同一人物のものではない可能性が濃厚になってきたという新事実。その後の科学の進展で事実認定が変わってきたということですが、それが意味を持つのも受刑者の刑罰が死刑ではなかったからであって、死刑が執行されていれば一切は闇の中・・・・。林真須美被告が死刑になり、その後新しい事実が浮かび上がってきたらどうするんでしょう? 科学的捜査もその限界をしっかり認識しておく必要があるとともに、人間のした行為なのですから、その動機が明確にならない状況で死刑というのは、「うーーん、これでいいのかな?」という気がします。こんな状況の中で難しい裁判に一般市民が参加する裁判員制度が導入される・・・・・。大丈夫なんでしょうか? 裁判員制度を導入する以前に整えておかなくてはならないものがあまりにもたくさんあるような気がします。ワイドショウ的なマスコミ報道のあり方、科学的捜査の限界へのしっかりとした認識、死刑制度のあり方や終身刑の導入などなど・・・・。それを飛び越して日本の社会において馴染みの無い裁判員制度をいきなりスタートさせる真の(裏の)理由は何なのでしょうかね?

次に飛び込んできたのが、またしても親による子殺しの事件大阪市西淀川区のあの死体遺棄事件です。このあたりは社会的に共通の側面が見え隠れしてきました。それはシングル・マザー(離婚したケースも含んで)が新しい男と男女の仲になったとき、女の連れ子が犠牲になっている・・・・・。母から一人の女に戻るとき、女の性のもつ危うさみたいなものが浮き彫りになってきているような感じがします。

そして次は、子供の親殺し。今日も東京都東久留米市で92歳の夫と80歳の妻という老夫婦が51歳の娘によって殺害された・・・・。その動機は「両親の面倒を見るのに疲れた・・・・。」最近話題になっているシングル介護や老老介護の問題です。この問題では先日タレントの清水由紀子さんが、介護していた母と心中するつもりで亡き父親の墓前に行き、結局母を道ずれにできず、一人で自殺・・・・。何ともいたましいことです。ある者は自らの手で親を殺し、ある者は自らの命を絶つ。何とも切ない世の中になりました。何と言っても血縁・地縁のどちらにおいても人と人の縁(つながり・絆)が弱まっていて、苦しみや困難を多くの人間で分散負担することができず、特定の人間に全てが襲い掛かりその人をとことん追い詰めてしまう・・・・。その行き着く先が親殺しであり自殺。やりきれません。明日は我が身です。

そんな中、芸能界を席巻しているSMAPの草薙剛の泥酔全裸事件。彼は以前から危ういと思っていました。テレビ朝日系の「ぷっスマ」で、番組収録中からビールをガンガン飲んで、番組がグダグダになっていたりしていました。それを番組側も制することなく、逆に面白がって放送していました。その様子を見るにつけ、草薙剛自身が明らかに酒に飲まれるタイプだし、天下に怖いもの無しの立場になった今、それこそ好事魔多し、坂道を転げ落ちるようなことにもなりかねないと思っていたら、案の定と言うべきか、「やっちまったなあ・・・・。」 しかしこの件は草薙剛自身の責任は当然のことながら、事務所、TV会社など彼を取り巻く大人の世界にも大いに責任があるとも思っています。

あちこちで哀しい事件が起こる中、唯一ご機嫌がいいのは麻生総理。小沢一郎の金銭スキャンダルもあって敵の攻めも迫力を失い、定額給付金の支給が始まったことで、何となく国民は得をしたような気分になって政府を支持するムードが広がっているからでしょうか。解散カードを取り戻した自信からホテルのバー通いも復活。ぶら下がり取材ではイチローの安打日本新記録に対するコメントを求められて、「イチローっていくつよ?」 「ん?35?」 「あぶさんくらいまで頑張ってやって欲しいねえ。」 「あぶさん今いくつか知ってる?」 「知らない? えっ知らないの? これだから新聞記者なんちゅうのはダメなんだよ!」と言いたい放題。ここにも哀しい人間がいました。一国の宰相が国民のことではなく自らのことだけを一生懸命考えている・・・・・。やっぱり人間性は顔に表れるのかもしれませんな。

そんなこんなで、一番ビックリしたのがメキシコでの豚インフルエンザの発生・拡大。恐れていたことがとうとう起こったか!?というところであります。今回の豚インフルエンザのウイルスは「H1N1型」で、ヒトのAソ連型インフルエンザ「H1N1型」と遠い祖先は共通ではあるものの、長年別々に変異してきたため性質は異なり人の免疫は期待できそうにないとのことのようです。実際メキシコでは既に死者が81人となっているし、このメキシコに滞在した人物を介してアメリカ・ニュージーランド・スペイン・フランス・イスラエルへと既に拡散しています。

WHOではメキシコでの感染封じ込めは既に不可能という認識のようです。それくらい恐ろしい状況になっているにもかかわらず、日本政府は実におっとり刀という印象を小生は持っています。それは国民をパニックに陥れてはならないという配慮を重ねてのことといった感じでもなく、メキシコへの渡航もゴールデン・ウイークが始まった現時点では規制もありません。またメキシコからの渡航者の受け入れにも特別な手立ては講ぜられていないようです。リーマンショックの時も「日本経済への影響は蜂に刺された程度」くらいにしか認識していないかった政府ですから、今回の新型インフルエンザ発生も対岸の火事くらいの認識しかないのかもしれません。

もっと恐ろしいのは、約10日前にオバマ大統領がメキシコを訪問し考古学博物館を見物した際、その案内役を務めた考古学者がこの1週間後に豚インフルエンザに似た症状で死亡したとの報道。そうなるとオバマ大統領もこの豚インフルエンザに感染した可能性も出てきたわけです。しかもオバマ大統領がメキシコを訪問した時点で、メキシコ政府当局は国内での豚インフルエンザ発症を知っていたにもかかわらず、アメリカ政府はもとより国際機関等々へ連絡していなかった・・・・・ということ。

このような事態が予測されて、一刻も早い連絡・ウイルス隔離対策が世界規模で話し合われ、シミュレーションもやっていながら、実際に問題が起こったらこの有様。まあこんなものだと言われればこんなものかもしれません。多額のカネを投下してどんなに精巧なセキュリティ・システムを作ろうが、結局のところはヒューマンエラーが一つあるだけで機能しない。今回のケースはヒューマンエラーなのか、はたまた意図的に事態の発生を隠したのかわかりませんが、いずれにせよその対応で危機が世界に拡散したわけです。まあそれに対する日本政府の対応も危機感なしですが・・・・。

100年に1度といわれるような金融危機・経済危機が起こったと思ったら、今度は恐れていた新型インフルエンザ・・・・。次は何でしょうか? もしもう一つ何かが起こったら、2010年世界滅亡説というものが俄かに現実味を帯びてくるかもしれない・・・・と背筋が寒くなるオヤジであります。(背中が寒いのは雪が降るくらいの季節外れの寒気のせい・・・・かな?)

長くなっちまったい・・・・・。



4月25日。晴れ。本州では大雨のゴールデン・ウイークのスタートとなったようですが、こちらは明日あたりから天気が大荒れになるとの予報です。またまた津軽海峡あたりで低気圧が発達し、爆弾低気圧になりそうな感じで、明日は陸上でも20メートルを超える暴風が吹き荒れ、十勝地方ではゴールデン・ウイークのこの時期に40センチもの積雪になるという信じられない天候になりそうです。小生の住む土地でも明日の朝晩には雪が舞い、月曜日にも降るみたいです。やはり異常気象ですよね。やっと引っ張りに引っ張って今日夏タイヤに履き替えたと思ったら、雪の予報・・・・。これって結構へこみます。

話し変わりまして、昨日24日地元で初のインターネット・テレビ「ノッポロ7丁目放送局」の定期放送が始まりました。毎週金曜日だけ、しかも午後7時~8時の1時間だけの放送ではありますが、これはある意味小生が知りうる中で画期的な出来事でありました。

わが故郷は道都「札幌」から東北東へ約20キロの隣町「江別」であります。かつて明治時代は石狩川水運の中継基地として栄え、昭和以降は製紙工場と火力発電所によるいわば企業城下町としてそこそこに栄えていたのですが、その火力発電所も撤退し製紙工場も大幅な事業縮小で、今は札幌のベッドタウンとしてかろうじて生きているような田舎町であります。のどかな田園都市ではあるものの、文化・商業・教育などあらゆる部分で札幌への依存度が高く、「この街独自の」というものがなかなか育たなかった・・・・という事情もありました。そのため今ではどこの街にもあるようなコミュニティFM局なども無く、文化的な面で江別発というようなものが何一つありませんでした。そんな中で初めてともいえる「江別発」が誕生したわけです。これは大事件です(笑)。


BCNopporo01.jpg因みに、「江別(えべつ)」の由来は、アイヌ語の「ユベオツ」(鮫のいる川)、又は「イブツ」(大事な場所への入り口)が語源だと言われています。この場所がこの土地が語源のように「大事な場所への入り口」となるといいなあ・・・・と思ってしまいます。

また「野幌(ノッポロ)」の由来も、アイヌ語の「ヌプ・オル・オ・ペッ」(野の中の川)ということのようです。こちらはあまりロマンティックな意味はなく、まさに土地の様子を表しただけ・・・・みたいですね。あ、そうそう。ノッポロ7丁目放送局のHPはこちら。ただし、毎週金曜日夜7時~8時の1時間だけの放送です。

この放送局は、小生の中学校の後輩と仲間たちが立ち上げたものです。以前から「わが街のために何か貢献したい・・・・」と言っていましたが、それを思いだけで終わらせるのではなく実践したことに心から敬意を表したいと思います。また関係者の皆さんはそれぞれに仕事を持っていて、貴重な時間を削って手弁当でこの放送を続けていくということです。なかなかできるものではありません。「どうしてそこまでするのか?」という素朴な疑問に、パーソナリティを務める原田ミドー氏は図らずも初回放送の中でこう言っていました。「自分もこれまでいろいろな形で地元の支援をお願いしてきた。いつも頼るばかりだった。その恩返しと言うわけではないけれども、わずかでも何か自分のできることで地元に元気になってもらいたい・・・・。」 そういう意気込みで始まったのがこの<ノッポロ7丁目放送局>だということです。「その意気や良し!」ひょっとするとこの放送局が「大事な場所への入り口」になるかもしれません。

MidoKazenomon02.jpgこの放送のパーソナリティを務めるのが、これまたわが中学校の後輩に当たる彫刻家の原田ミドー氏。新札幌のコミュニティFMでも自らの番組を持っていることもあってお喋りはなかなかのものです。
本業の彫刻は左の作品が代表作の「風の門」です。江別(野幌)は煉瓦の町で、郊外にセラミック・アート・センターという施設があり、その中庭に設置されています。素材はもちろん明治・大正・昭和各時代の煉瓦。何とも味わい深い作品ですね。

原田ミドー氏の作品やプロフィールが紹介されているホームページはこちらです。お時間がありましたらぜひお立ち寄りください。
「Mido Harada」


初回放送は何とも手作り感イッパイでした。固定ビデオカメラが1台。マイクが1本という潔さです。途中ジングルや曲なども流すのですが、まるで糸居五郎氏のディスク・ジョッキーのようにパーソナリティの原田ミドー氏が全てを一人でこなします。ミキサーもなし。あるのはラジカセだけ。音楽を流すときはこれにカセットテープを入れてスイッチ・オン。スピーカーから流れる音楽をマイクで拾うわけです。当然音楽を流すときには、カセットの入れ替えなど「ガチャ・ガチャ」という雑音が入ります。スタジオなんてしろものではなく、防音設備も無い窓の外は幹線道路。車の音も入ってきます。しかしこれがまたいいんですねえ・・・・。インターネットTVと言いながらも、実際はローカルの深夜放送ラジオみたいな感じなんです。リアルタイムで見れなかった人のために、今後Youtubeに動画をアップしていくといっていました。ひょっとすると意外なところで火がつくかも・・・・・と感じました。いずれにしても貴重な第一歩をしるしたこの放送局を何とか続けていただきたいものだと心より願っているオヤジであります。

最後にわが故郷「江別」を紹介してくれている歌があります。テレビ神奈川の某番組で放送されたものなんですが、この番組は北海道のローカルおばけ番組「水曜どうでしょう」制作陣との付き合いがあって、それでこんな歌が作られたそうです。ちょっと面白い歌です。よろしければどうぞ。



映像に流れる風景は、札幌から江別に向かうJRの車窓の風景です。こう見るとやっぱり田舎ですなあ・・・。



4月20日。今日も季節外れの暖かさになりました。空は晴れてはいるものの、でもどこか埃っぽい感じです。黄砂なんでしょうか? この暖かさで土に埋めた植物がグングン成長しています。もう少しで水仙の花が咲くかもしれません。

この数日車検のことでディーラーからしつこいほど電話が入って、少々鬱陶しく感じているオヤジであります。この車検制度も車の点検整備を徹底させるというよりも、ある意味税金をふんだくるための制度ですよね。このあたりも何とか改正してもらいたいとつくづく思います。

さてここ数日懐かしの海外ドラマをご紹介してきましたが、日本のTVドラマにも忘れられないドラマ、意外な縁でつながっていたドラマがありました。それは1968年の1月から1969年の10月にわたってTBS系列で放送された木下恵介アワーの「おやじ太鼓」であります。

この作品は1949年(昭和24年)に木下恵介監督、坂東妻三郎主演で制作された、映画「破れ太鼓」のテレビドラマ化だということのようです。話の内容は簡単に言ってしまえば、大家族の日常に巻き起こる様々な出来事(受験・仕事・恋愛・結婚etc)に父の亀次郎のカミナリが次々に落ちて、てんやわんやのうちに何とか大団円に至るという典型的なホームドラマでした。頑固親父ではあるものの、その根っこには家族のことを深く愛している父親としての情がしっかり溢れていたり、表面的には亭主関白なのですが、実のところは完全に奥さんの尻に敷かれている憎めない親父でもあり、何とも心温まる物語だったように記憶しています。

Oyaji01.jpg   Oyaji02.jpg

主演の建設会社社長の頑固なカミナリ親父こと鶴亀次郎役は進藤英太郎さん、妻愛子役は風見章子さん、父親の会社で社長秘書する長男・武男役には園井啓介さん、次男・洋二役は西川宏さん、大学生の三男・三郎役は津坂匡章(秋野大作)さん、浪人生の四男・啓四郎役はあおい輝彦さん、会社員の長女・明子役には香山美子さん、大学生の次女・幸子役に高梨木聖さん、高校生の三女・薫役に沢田雅美さんという顔ぶれでした。

Oyaji05.jpg Oyaji07.jpg Oyaji06.jpg Oyaji08.jpg

子供たちの顔ぶれは、左から長男:園井啓介さん、次男:西川宏さん、長女:香山美子さん、三男:津坂匡章さん。下段は次女:高梨木聖さん、四男:あおい輝彦さん、末っ子の三女:沢田雅美さん。

Oyaji09.jpg Oyaji10.jpg Oyaji11.jpg
 
このドラマとは直接関係のない話なのですが、一浪後早稲田に入れてもらった小生は、その後早稲田モダンジャズ研究会(通称ダンモ)に入部して、コンボ・ジャズのピアノ弾きとして楽しくやっていました。語学のクラスが同じで親しくなったシネマ研究会の武○君が高円寺に住んでいた頃、高円寺の南口の氷川神社そばにあったJazz Bar 「Witchcraft 人形茶館」というお店を見つけてたまたま入ったのですが、そのお店こそこの「おやじ太鼓」で次男役を演じられた西川宏さんが開いたお店でした。

マスターの顔を見た途端に、「あ、あの役者さんだ!」と気付き、恐る恐る尋ねたところ、間違いなく西川さんご本人でした。西川さんはJazzが好きで、小生が早稲田でジャズをやっていると知ると、是非ここで演ってくれ・・・・ということになり、小生は小生で恥も外聞も無く酔った勢いで適当に弾いた記憶があります。その後も小生のバンドのピアノ・トリオの面子で遊びに行っては、酒を飲み飲みピアノとベースのDUOプラス(ドラマーが其の辺のカウンターテーブルやら何やらを適当に叩く・・・・)で実に適当にスタンダード・ジャズを演奏させてもらったものです。懐かしくも貴重な思い出であります。

そう言えば、「おやじ太鼓」では次男・洋二役の西川宏さんは戦災で足が不自由になり、復員後は自宅で頑固親父の歌を作ったり、童話を創作するなど藝術肌のキャラクターを演じていました。ちょっと分別臭いところがあって生真面目で、カミナリオヤジも洋二にだけは多少遠慮がちでした。今にして思うと、あのキャラクターは全く架空のものではなく、西川さん自身のキャラクターとかなりの部分重なっていたのではないかと思います。

最後にあおい輝彦さんが歌う「おやじ太鼓」の主題歌を聴いてください。懐かしいですよ^^。



それと、Jazz Bar 「Witchcraft 人形茶館」のHPを見つけました。こちらです。
Dining & Bar Witchcraft 人形茶館

お店の写真を見る限り、30年前とほとんど変わっていないような気がします。カウンターからグランドピアノへと続いていました。昔はこのピアノの回りにも席があったような気がするのですが、定かではありません。

「奥様は魔女」からドラマつながりで「おやじ太鼓」へ来て、そこで昔のお店「Witchcraft」にまたつながりました・・・・。ちょっと不思議な感じがしているオヤジであります。


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。