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12月31日。2008年もいよいよ大晦日です。またもや夜明け過ぎから猛烈な吹雪が始まりました。これは今日一日中続き、明日の元日まで続くみたいです。気温が高く湿った雪が降り続いているのですが、この湿った雪が積もって、白い雪が青味を帯びてきています。何ともお天気的には厳しいお正月になりそうです。

夜になれば紅白歌合戦ですな・・・・。そちらはあまり関心はないのですが、音楽を中心にして書いてきたこのブログも音楽で締めたいと思います。

ということで本日ご紹介するのは、1973年 イーグルスの「デスペラード」です。

1973年4月13日に発表されたイーグルス2作目のアルバム「Desperado」に収められた表題曲です。このアルバムは西部開拓時代のギャングを主人公にしたコンセプト・アルバムになっています。そして「Desperado」の意味は「ならず者」。イーグルスのオフィシャル・サイトのタイトルもこの「Deperado」です。それだけ彼らにとっても思い入れのある曲でありアルバムなのでしょうね・・・・。

Desperado01.jpg

この「ならず者」とは、孤独で刹那的に生きる社会に背を向けた人間・・・・。 そんな人間に向かってイーグルスはこう語りかけます。

お聴きになりながらお読みください。

1973 The Eagles 「Desperado」


#1
デスペラード、目を覚ましたらどうだい  もう長い間フェンスの上に腰掛けてるね
頑固者だね、君は。  自分なりの理由があるのはわかるけど
君が楽しいと思っていることが  本当は自分自身を傷つけているんだよ

ダイヤのクイーンを引くだなんて  場合によっては君は負けちゃうんだよ
ハートのクイーンが一番いい手なのを知っているくせに

ボクにはいいカードと思うのが  テーブルに並んでいるのに
君は手に入らないようなのしか狙わないんだね

#2
デスペラード、 君はもう若くないんだぜ  節々が痛くなって腹が減ると家に帰るんだね
そして自由になりたいからだって、 そう、そう言う人間もいるけどね
君ってこの世を一人ぼっちで歩いている囚人さ

冬になると足が冷えるだろ?  雪も降らないし太陽も輝かない
夜も昼も区別がつかなくなっている  気持ちの高ぶりも落ち込みもなくなっている
感情がなくなるっておかしなことじゃないか

#3
デスペラード、目を覚ましたらどうなんだい  さあ、フェンスから降りてゲートを開けなよ
雨が降っているかもしれないけど虹だって頭の上にある
誰かが君を愛してくれるようにしなよ、 遅くならないうちに

訳詞: HideS (なつメロ英語オールディーズ より)

「手遅れになる前に、愛される存在になりなよ・・・・。」「手遅れになる前に、人とのつながりを大切にしなよ・・・・。」と優しく諭すようなメッセージですね。

小生なども自分自身では社会とのつながりを拒んでいるとは思いませんが、どこか無意識的にそのようなところもあるのかもしれません。<頑固で、自分がいいと思ってやっていることが実は自分自身を傷付けている・・・・>という部分は、「そうかもしれないなあ・・・・。」と感じさせます。<この世を一人ぼっちで歩いている囚人さ・・・・>という部分などでは頭がガクッと垂れてしまいます。

一年の最後にこういうシンミリとした、そして優しい曲に包まれるのも悪くはないです。

この「Desperado」、名曲であるがゆえに多くのアーティストがカバーしています。その中で小生はカーペンターズのカバー・バージョンが一番好きなのですが、残念ながら先日動画が削除されてしまいました。というわけでご紹介できないのが本当に心残りであります。その代わりと言っては失礼ですが、日本の女性ボーカリスト、藤田恵美さんのカバー・バージョンをご紹介します。

アルバム 「camomile Best Audio:藤田恵美」より



どうして2008年の最後にこの曲を選んだのかは、実は自分でも良く分かりません。ただこの曲の「ならず者」は他人様に迷惑はかけません。知ってか知らずか自分を痛めつける自虐的な人物です。それに対して一般的な「ならず者」は、自分の目的を達成するためには他人様にいくら迷惑をかけようと知ったこっちゃない・・・・というような人物です。今の世の中「自覚無きならず者」が多すぎるような感じがしています。

社会との調和があってこそ、平穏がある・・・・・。個人レベルだけでなく、国家レベルでも全く同じですよね。頼みますよオバマ新大統領。

さてさて、本年はこれで最後です。お付き合いいただき感謝しております。来年も厳しい世の中になるでしょうが、素敵な音楽をご一緒に聴いていただければと思っております。

それでは皆様、どうぞ良いお年を・・・・・。

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12月30日。あっという間でした。やっぱり早いですねえ。時間に羽が生えたみたいです。

そろそろ2008年という年を私的に振り返ってみようかなあ・・・・と思います。

小生が個人的に一番気になっていたのは、愚かなことにジュセリーノの予言でした。それは9月13日にアジアでM9.1の大地震が発生し、100万人以上の犠牲者が出る・・・・。というものでした。結果的にはそんなことは起こりませんでしたが、本当にこのような災害が発生したら一体どうなるのだろう・・・・と素直に考えていました。

小生がこのジュセリーノの予言を知ったのはテレビ番組によってでした。北野たけしの怪しげなUFO論争などをやっているオチャラケ番組を皮切りに、様々な特別番組で紹介されていたものでした。例のFBI超能力捜査官・・・・などのような感じの番組だったかと思います。

しかし、テレビというものは本当に無責任なものだと改めて感じさせられました。いかにもジュセリーノの予言の的中率が高いかを示した上で、今後起こると想定される大地震を予言されたら、素直な視聴者はすっかり信じ込まされてしまいます。しかし良く良く調べてみるとジュセリーノの予言の的中率はきわめて低いうえに、的中したものもその多くが予言ではなく、事後になって予言していた・・・・と本人が言っている・・・・という何ともひどい話のようです。

それを臆面も無く『史上最強の予言者ジュセリーノ』などとして、民放各局はこぞって採り上げました。超能力者ユリ・ゲラーのときと同じような扱いです。しかしどの局も結局は視聴率獲得だけが狙いだったようですね。センセーショナルで視聴率がとれれば中味などどうでも良かったということです。予言が外れたときに「お詫び」を出したところはありません。

まあこれがテレビというものの正体だということですな。まさに何を信じれば良いのかわからないのがこの世の中だっちゅうことですな。これは何も最近のことではなく、昔からずーーーーっとそうだということです。

そしてこうやって一般国民が騙され続けているのは何もテレビだけではなく、ありとあらゆる局面で騙され続けてきたということです。もちろん政治にしても然りであります。「日本は借金国で大変だ大変だ・・・・。このままでは社会福祉はもたないから、消費税のアップは仕方ない・・・・。」etc etc。

果たして政府が発表していることは本当なのか? 「どうも違うようだぞ・・・」というのが最近透けて見えてきました。確かに日本は800兆円近い借金はあるものの、それと両建てで500兆円もの資産を持っていることは発表されません。差し引きで300兆円の借金だとすれば、そんなに財務内容は悪いとは言えなくなる・・・・。となると増税ができなくなる・・・・。だからそれは言わないことにする・・・・。

こんな感じで官僚機構や政治家・財界の損になることは、かなりの部分が隠されているような気がします。そして最もダラシナイのが、そのような公権力を監視する立場のマスコミやジャーナリズムであります。政府や役所の発表をただただ垂れ流すだけで、真偽を検証することも無く、真実に近づこうともしない・・・・。これじゃあ世の中は一部の人々に良いように牛耳られるわけです。

ジュセリーノの予言からマスコミ批判・政府官僚批判になってしまいましたが、今日言いたいことはそんなことではなかったんです。脱線してしまったので本線に戻りますね。

ジュセリーノの予言は見事外れましたが、その予言の日とほぼ時を同じくする9月15日、あのリーマン・ショックが起こりました。地震は起きませんでしたが、世界を揺るがす金融の大激震が走ったわけであります。そしてこの影響で世界に不況が蔓延しますが、そのスピードの速いこと・・・・。まさに津波であります。第一波は既に日本にも到達しましたが、これから第二波・第三波と次々と強烈な経済的な津波が襲いかかってくることが予想されます。

今回のテーマを「人類が試されるとき」としたのは、「このような厳しい状況から人類はどのようにして立ち直るのだろうか?」ということに実は重大な意味が隠されているのではないか・・・・と小生思うのであります。

今まで先進諸国は経済的繁栄を享受してきました。アフリカなどでは満足に食べることも出来ず多くの人々が亡くなっているのに対し、先進国はそんなことにおかまいなく飽食・銭ゲバを貪ってきたのですが、今回の世界不況で先進国にあっても食えずに死んでいく人が多く出てくるという状況になってきたわけです。言ってみれば先進国にあっても、今までは他人事だった途上国と同じような境涯に置かれつつあるということです。

言ってみればこのような状態から抜け出すことが、全人類共通の課題になってきたわけで、そこからどのような形で抜け出すのか? まさに人類の意識や知恵というものが試されることになるだろうと思うわけです。最大の危機ではありますが、逆に言えば神仏が人間に対して「さあ、どうする?」と宿題を与えられたような気がしないでもありません。

今までの自由主義的な競争原理・市場原理を大原則とする頭のままで再生を果たそうとするのか? それとも今まで続けてきた自由主義的な競争原理・市場原理というものではうまく機能しないということを学習して、新しい原理原則を打ちたててそれに沿って再生を果たそうとするのか・・・・・?

とどのつまりは、人間の生きている意味(価値観)をどこに置くのか? ということです。今までの自由主義的な競争原理・市場原理を大原則にするということは、マネー第一の価値観で行くということで、新しい原理原則を打ち立てるということは、マネー第一の価値観から脱却するというこです。

権力を握っている既存の特権階級勢力は、おそらく今までどおりマネー第一の価値観に基づいて再生を果たそうとするでしょう。が、しかしそれでうまくいくのか・・・・? 小生はそれは失敗するのではないかと思うのです。先ほど神仏を引き合いに出しましたが、神仏にすれば、「まだわからんのか? 馬鹿者が・・・・・。」と、もっとひどい泥沼へ落ち込んでいくことになるんじゃないかと・・・・・・。

今回の危機は、決定的な破滅に向かう前に「人間の生きている意味を見直しなさい。」と神仏が与えてくれたラスト・チャンスのような気がしてならないのです。そこでどのような答えを出すのか? それによって人類の将来が大きく左右されるような気がしてならないのです。

そういった意味で2009年はまさに「人類が試されるとき」になるのではないかと感じます。

ここで勘違いしていただきたくないのは、「試される人類」とは一国の指導者や財界のリーダー・既存の特権階級だけを指しているのではないということです。まさにこの地球上に生きる人間一人一人が試されるということ・・・。結局は世界は指導者によって変えられるのではなく、個人個人が変わることによって変わっていくのではないかと思っています。

小生も何にも出来ない情けない身ではありますが、自分自身変えなくてはならない部分はここだということが何となくわかってきた感じがします。あとはそれを意識して変えていくという実行力が伴うか・・・・であります。
簡単なことではないかもしれませんが、それでもやらなくちゃいけないのではなかろうかと・・・・・。
そんなふうに思った2008年の年の瀬でありました。

12月29日。くもり。今日は予報どおり穏やかな一日でした。気温もそこそこ上がり、雪も降りませんでした。どこかホッとしてここ数日の緊張が解けたような感じがしました。

何とはなしに思いついた本日のデタラメ五・七・五
「年の瀬に 払い済ませて 空財布」

ちょっとだけ食料品の買出しに・・・・と思って、近くの食品スーパーに出向いたのですが、それはそれは凄まじい人混みでした。通路さえも満足に歩けない有様でした。そこは俗に言うスーパーとはちょっと違って、食品限定の割と小さな店舗なんですが、大した量の買出しでもないのに、爺ちゃん婆ちゃんから孫まで5人も6人もが連れ立って買い物に来た日にゃあ尋常ではない混み様になるのは当たり前であります。別の意味では、爺ちゃん婆ちゃんから孫まで一緒に仲良く買い物・・・・という姿は大変結構なことでありますが、それは是非ともたっぷりスペースをとってある大型スーパーでやっていただきたい・・・・と。

いくら結構なことであっても、タイミングを間違ったり、場所を間違ったりすれば、それは周囲の人々に迷惑をかけ、結局は自分だけの利己的な行為になってしまう・・・・やっていること自体は同じでも質が転換してしまうんだなあ・・・・と改めて感じさせられました。いずれにせよ、何事においても絶対というものは存在せず、全ては相対的な関係性の中にあって結果は様々に変わってくるのかもしれません。

もう一つ感じたのは、「日本人にとってお正月ってそんなに特別なものなのか?」ということ。

誰も彼もが、我先にとばかり、おせち料理にしか使わないような食材を血眼になって買い求める姿を見ていると、「これって一体何なんだろう?」と素朴に疑問に思いました。

年神さまを清新な気持ちで迎えるために掃除をし清める。またお供えするおせち料理を準備する。日本のお正月の慣習というのは、一種宗教的な儀式から派生して庶民に広がっていったものだと思うのですが、まさにその精神性などというものはどこかに吹っ飛んでしまったのに、なぜ形だけにこんなに執着するのか不思議に思えてなりません。

新年の見通しが良いようにとレンコンを食し、子孫繁栄を願ってカズノコを食し、腰が曲がるまでの長寿を願ってエビを食し・・・・・etc etc。ダジャレに基づいた見事なまでのご利益志向であります。しかし本当の由来や趣旨はちょっと違うのではないでしょうかね。

離れ離れになっている家族が久しぶりに集い、楽しく団欒の時を持つ機会となる「お正月」。それはとっても良い日本の習慣だと思います。それを維持していくために形は必要なのでしょう。でも形だけでなくその習慣に本来の意味を取り戻すことが、これからの時代重要な意味をもってくるのかなと感じております。その本来の意味とは「感謝」ということなのかなと。

小生自身を含め大いに反省し、考え直す必要があると思うのですが、それは「自分は多くのものに支えられて生きている。ありがたいことだ。」という気持ちをもつこと・・・・。それはお正月だけではなく、日々常に心することが必要だなあ・・・・ということです。

かたや職を失い寒空の下放り出されて、明日のこともわからない人々がこれだけ溢れ出しているこのご時世で、一方では「マグロ・マグロ・・・・」と他人を押しのけて買い物をしている人がいる。
ましてや世界では戦争で何百人も死んでいる・・・・。

今改めて言うことでもないのでしょうが、同じ人間でありながら、これだけの違いが生じている・・・・。

冒頭にも書いたとおり、何事においても絶対というものは存在せず、全ては相対的な関係性の中にあって結果は様々に変わってくる・・・・のだとすれば、一見厳しい状況に立たされている人が必ずしも不幸だとは限りませんし、裕福で羨ましく見える人が必ずしも幸せとも限りません。幸・不幸は全てその当人の主観的なものですから・・・・。もっと言えば、「生きる」ことが、ある人にとっては「死」よりも幸せであるとは言い切れません。

さはさりながら、できることなら全ての人間、全ての生あるものが、心安らかに穏やかな暮らしが出来るのならそれに越したことはないでしょう。そのためには、誰もが「感謝」の気持ちを持って、自分の「我」を少しだけ押さえ、一歩譲る・・・・ということがどうしても必要になってくるのではないでしょうかね。

その意味で言えば、お正月を迎えるために我先にと他人様を押しのけて買い物をする・・・・などという姿は全くもって本末転倒ということになるんでしょうね。やはり日本はアメリカ的な弱肉強食型の価値観から抜け出して、もう一度日本的な共存共栄的な価値観に立ち戻らないといけないのかもしれません。

どんなもんでしょう?

12月28日 日曜日。もうこの頃はテレビ番組もほとんどが特番化していて、小生なんぞは曜日の感覚が無くなっております。あと今年も丸3日なんですねえ。

今日も昼間はほとんど雪は降らなかったのですが、午後2時頃から吹雪き始め、一時期また「大雪か?」と心配するくらいの降りになったのですが、その後は断続的に量が減って深夜になって収まりました。積雪量約15センチ。助かりました。明日は晴れで気温も上がる予報なので、気分的にホットしております。

昨日に続き、カラダがシンドく元気が無いので、本日の曲紹介はこれにしました。
ここ数日の小生の頭を占めているもの・・・・・。ズバリ<猫>の「雪」です。

NecoYuki01.jpg

作詞作曲は吉田拓郎。しかし<猫>の「雪」って、知らない人には何が何だかわからないかもしれません。<猫>がバンド名で「雪」が曲名です。

この猫というバンド名は、ビートルズ、ザ・タイガース、ザ・スパイダースなど当時人気のあったバンドに多かった「動物・生き物系」にあやかって考えたものの適当なものが無く、「猫でも犬でもいいだろ・・・」ということで「猫」に決まったということです。なんともいい加減ですな。というより、今のようにバンド名にあまりこだわりを持たなかったというか、茶化していた時代だったということもあるかもしれません。

このバンド<猫>は、1971年10月、早稲田大学のカレッジフォークグループ「ザ・リガニーズ」のメンバーだった常富喜雄、内山修と、「ジ・アマリーズ」のボーカルだった田口清によって結成されました。この時代のバンド名を見ても、「ザリガニ」に「字余り」ですから、バンド名へのこだわりの無さは明らかかと・・・・・。もっともボブ・ディランのバックバンドが「ザ・バンド」と命名されたのに比べれば、これでもまだマシなのかもしれません。

まずはお聴きいただくということで・・・・。

1972 猫 「雪」



この<猫>ですが、同じ早大出身の後藤由多加が吉田拓郎らと設立したユイ音楽工房に誘われて参加し、拓郎のバックバンドを1年半務めます。そして1972年3月9日、東芝EMIより「人生なんてそんなものさ」でデビュー。その後、石山恵三らが加入。CBSソニーに移籍し、拓郎作曲の「雪」「地下鉄にのって」などをがヒットします。そして1975年、アルバム『エピローグ』を最後に解散・・・・・と。

活動期間も短く、どうしても吉田拓郎の影のような存在ではありますが、聴いていただくとお分かりの通り、当時のギター1本プラスハーモニカ的なフォークとは少し印象が違います。フォークをベースとしながらも、リズム隊(ドラム)が入り、ハモンド・オルガンがオブリガードで流れるこの曲は、どちらかというとフォーク・ロック的な匂いがします。ある意味日本で初めてのトータル・サウンドに重きを置いたバンドであり楽曲だったのかもしれません。(因みにオルガンはあの松任谷正隆がスタジオ・ミュージシャンとして弾いているらしいです。)

当時の音楽誌が、このバンドを紹介するのに「ニュー・ミュージック」と紹介したのがニュー・ミュージックの語源との説があるそうです。これは彼らの目に見えない勲章ですね。

どこかカッコイイんですな。詞は「ちょっと年上の女性を追いかける僕ちゃん」的なものですが、曲が実にサッパリしていて、詞のねちこっさを吹き飛ばしてしまいます。歌い方も情緒的ではなく、スタッカート気味に跳ねるような感じですし、リズムに乗ってバックバンドが繰り広げるサウンドはそれまでのフォークには無かった斬新さがあります。ちょうど小生が高校に入った頃にヒットした曲なのですが、クラスメイトのM君が大好きで、ジャズに傾倒していた小生に聴かせてくれました。小生もとても印象深く、雪の季節になると思わず口ずさんでしまうほど、鮮明に記憶に残る名曲であります。

本当はゆっくりと降り積もる雪を眺めながら口ずさみたかったのですが、今年の本格的な雪はそんな悠長なことを言っておられる風情ある雪ではありませんでした・・・・。怖い


12月27日。昨日の吹雪は本当に凄まじいものでした。しかし日が変わり朝方になっても強風はやむことなく、時折吹雪が叩きつけてきます。今日も昨日ほどではないにしろ、結局約1時間ほど除雪作業をするハメになりました。

懸念していたとおり、日頃運動不足の小生のカラダは悲鳴をあげております。腕も肩も背中も腰も太腿も脹脛も、そして足の裏までもが筋肉痛です。足の指が時々攣ります・・・・。その瞬間は頑張れるのですが、そのツケが翌日以降確実に襲ってきます。

天気予報では明日28日の日曜日もまた吹雪・・・・。厳しい年の瀬になりました。

最近の気象はあまりに振幅が大きいので、ひょっとしたらこんな吹雪が何日も続くんじゃないか?という不安がります。それとこれからは屋根からの落雪がどんどん溜り積もってきます。これを排雪しないと、気が付くと窓が埋まってしまいます。その排雪作業が確実に待ち構えています。そんなこんなを考えると、大丈夫か オレ・・・・?

そんな状況で、本日のデタラメ五・七・五
「猛吹雪 生存本能 呼び覚まし」

非常にカラダがキツく、まともにモノを考えることも出来ません。
ということで、今日は12月26日北海道地方を襲った近年稀に見る吹雪の猛威の痕を少しだけご紹介して勘弁していただこうと思うとります。

ついこの間(クリスマス頃)までほぼ積雪ゼロだった世界が1日で様変わりであります。

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 クルマはすっぽり綿帽子にくるまれたように・・・・。

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 ちょっと雪を脇にどけるとあっという間に雪山が出来上がり・・・・・。

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 晴れていてもどこか白っぽく感じられるのが、地吹雪っていうやつです。積もった雪が強風に舞い上げられて、実際には雪は降っていないのに吹雪のようになります。
 
ついこの間まではこの道も黒々としたアスファルトが露出していたのです。12月に3回も最高気温が10度を越えるのも異常でしたし、12月下旬になってもほとんど雪が無いというのも、あまりあるケースではありませんでした。「こりゃ いずれドカっとくるだろうな・・・・・。」と思っていたら、その想像を遥かに上回る激しさで冬将軍様がいらっしゃいました。小生なんぞはシーズン第一回目の攻撃で、既にグロッキー気味であります。この写真は今日ちょっと吹雪がやんだ隙をついて撮影したものです。今日は朝から晩まであちらこちらでゴーゴー・ガーガーと除雪車の音が鳴り止まないような状況でした。一番右の写真の左端に写っている黄色い重機(見難いかもしれません)がバケット型の除雪車です。

今回の吹雪を象徴するような写真を一枚。

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これは小生の庵の壁なのですが、あまりの風雪の激しさに雪がこびりついたまま凍ってしまったものです。ほとんどの壁面がこのような姿になっています。こんなことも昨年はほとんどありませんでした。もっとも昨年は昨年で雪が少なく暖かく、3月までに雪が消えてしまうという、これはこれで異常気象だったのですが・・・・・。

できることなら冬将軍様、一気呵成の攻撃は勘弁していただいて、少しずつ少しずつやっつけていただくということでお願いできないものでしょうか・・・・・。