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小生はなかなか自由に外へ出て行けないので、新しい出会いや出来事が少なくて、ついつい話も思い出話になってしまいます。年齢的には50歳を少しすぎたところなのですが、事実上は+20歳の70代のジイサンの昔語りだと思ってご勘弁ください。

前回ユーミンの「12月の雨」を紹介したときに、こんなオジジでも高校時代には一丁前に恋なんぞをしていたと書きました。そうなんです。自分でも信じられないくらい人を好きになりました。それ以前にも何度か「この娘はいいなあ」くらいに思うことはあったけど、本当に胸の奥がジリジリと焦げるような感覚になったのはあの時が初めてでした。やっぱりあれが初恋だったのかなあ・・・・・。

思春期のホルモンの爆発はそれこそ水爆クラスですなあ。当時はJazz研の部活はもちろん何をやっていても楽しく、充実していました。もっともそっちが楽しすぎて、勉強に回す時間は限りなくゼロに近づいていきましたが、「それがどうした!」っちゅう感じでしたな。

その彼女と過ごす一分一分が貴重で貴重で・・・・。しかし良くあんな女の子が、こんな見てくれもパッとせず老け顔で脚の短い小生と付き合ってくれたなあ・・・・と今では思います。

実は彼女は学年中で評判と言ってもいいくらい可愛いくて、スポーツ万能で、活発なお嬢さんでした。男どもはそれに惧れをなして、心の中では想っていてもなかなか口に出せなかったんだと思います。そこに当時は全くもって無謀小僧の小生がいた・・・・。先陣を切って玉砕覚悟で交際を申し込んだ勇気が良かったのかも・・・・。ん?それだけだったのか? だとすればちょいと悲しい。

もっとも告白に踏み切るに至るまでは小生とてもメチャクチャ葛藤しましたが、ここで逃げていては何も始まらないと思い、半分ヤケクソで告白したんだけれども、そのときはやっぱり心臓が飛び出そうだったなあ・・・・。そのときの情景はなぜかしっかり思い出せません。それだけイッパイイッパイだったってことでしょうか。 おいおい何を話してるんだか^^;。


その彼女は髪の長い女の子でした。その髪型が麻丘めぐみさんそっくりでした。
麻丘めぐみさんの昔の映像を見ると、どうしてもその彼女の姿が目に浮かびます。

でも小生にとっては麻丘めぐみさんより、あの彼女のほうが断然可愛く見えていました。これこそスタンダールの言うところの「恋の結晶化作用」っていうやつだったんでしょうね。

という次第で、今日のオススメがこの曲 麻丘めぐみ 「私の彼は左きき」


麻丘めぐみ 「私の彼は左きき」


いやあやっぱり可愛らしいですね。元祖アイドル。麻丘めぐみさんは1955年生まれだから、小生の一才年上ってことになるのかな。オイオイ「金のわらじを履いてでも探せ」ってやつでないかい? 大分生まれの大阪育ち・・・・ふむふむ。

実はテレビでは良く見ていた麻丘めぐみさんですが、小生の気持ちは別の彼女でいっぱいで、同世代の男子諸君が夢中になっていても、正直あまり関心がなかったんですわ。でも改めて見ると可愛いし、声も透明感があって上品、歌もうまい・・・・・。どこか凛としていて素敵です。やっぱりアイドルの頂点は彼女かもしれない。(楽曲自体は松田聖子さんのほうが優れているかもしれませんが・・・・)

1972年にデビューして、1977年に結婚・芸能活動中断。うん?22歳で結婚してたんだ。ふむふむ。
その間に19枚のシングルレコードをリリースしてたんですねえ。それで最大のヒットとなったこの曲は5枚目のシングル。筒美京平氏の作曲。 この曲以外にもいい曲がたくさんあります。Youtubeをうろちょろして発見しました。結構いい発見だったかも

おまけにもう一曲

麻丘めぐみ 「砂に消えた涙」


アルバム「ベストコレクション」に収録された曲ですが、麻丘めぐみさんの歌手としての実力がはっきりわかります。原曲はイタリアのミーナ・マッツィーニが歌ったもので、日本でも弘田三枝子さんはじめいろいろな歌手がカバーしてますが、麻丘めぐみさんの歌がベストかなあ・・・・。

さてさて、あれだけ夢中になった高校時代の彼女とは、高校卒業以後は一度も逢うことなく35年が過ぎました。同級生なのにね。

人生とはそういうものなのかも・・・・・。


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今日実家で年老いた両親と姉と一緒に晩飯を食べたんですが、そのとき実家にもあるテレビ局の世論調査の電話がかかってきたという話になりました。

ムードはすっかり総選挙・政権交代なるか?って感じでしょうか。

小選挙区制度が導入されて以来、民主党は日本にしっかりとした二大政党制を創り上げる必要があると言ってきて、いよいよ政権交代かという段階まできているのは間違いないことだと思うのですが、日本の二大政党制って、両陣営の違いがなかなか良くわからんですよね。

有権者にとっては、どっちが政権をとっても政策的にはほとんど変わり映えしないだろうと思っている人が大多数ではないかと思うんです。

そこで二大政党制で自民党か民主党を選べ・・・・って言われても、何だかなあ・・・というのが小生の正直な感想です。

二大政党制というからには、A党とB党で明らかに国づくりのビジョンが違っていないと、選びようがないですよね。

例えばA党は資本家の利益を最優先する。B党は労働者階級の利益を最優先する。これなら明白。
またA党は戦争をしてでも自国の国益を守る。B党はいかなる理由であれ戦争は絶対しない。これも明白・・・・・。

ところが今の自民党と民主党にはこのようなはっきりした国づくりのビジョンの違いがないんですな。

というのも両党とも何を基軸に人が集まっているかというと、自民党は財界寄りの立場で権力と金銭的なメリットを享受しようとする目的で集結していて、一方の民主党は、かつては自民党にいたものの仲間はずれにあったか、権力闘争で敗れたかで自民党を恨んでいる人々や旧社会党の流れをくむ人々、つまりアンチ自民の目的で集結しているだけなんじゃないかと思います。

これじゃどうしようもありません。表面的には二大政党的ではあっても、中身がこれじゃ・・・・。

このままでは日本の政治は国際的にみても立ち遅れ、官僚支配型の国がこの先もずっと続いていくことになってしまうでしょう。

そろそろガラガラポンの時期かなとも思います。政界大再編。

国づくりのビジョンの違いに基づいて二つの大きな勢力に再結集するときじゃないでしょうかね。

さてその国づくりのビジョンですが、今の世の中を見渡してみると、米ソの冷戦構造が崩壊した(最近のロシアの動向をみているとキナ臭い感じもなしとしませんが・・・・)後は、アメリカ型の新自由主義型の国を目指すのか? それともヨーロッパ型の社会民主主義型の国を目指すのか? という点が最も重大な対立軸になってくるのではないかと思います。

世界は待ってくれません。「政治には一刻の停滞も許されない。」という言葉を良く聴きますが、結局それは現状維持・問題先送りのための都合のいい言い訳として利用されているだけであって、目先の問題に絆創膏を当てるような政治を続けていたのではどうにもこうにも身動きがとれない事態にまで陥ってしまいます。

ある程度のリスクは覚悟で、ここは政界大再編・本当の二大政党制の実現に向けてそろそろ動き出す必要があるのではないかと思いました。

俳優のポール・ニューマン氏が亡くなったというニュースが飛び込んできました。
本当に残念です。

本物がどんどんいなくなってしまうような寂しさを感じてしまいます。

追悼の意味を込めてこの曲をご紹介します。
あまりにも有名ですが、BJ Thomas 「Rain Drops keep falling on my head」(邦題:雨にぬれても)

アメリカン・ニューシネマの傑作と言われている1969年のアメリカ映画「明日に向かって撃て」の主題歌です。この映画は監督ジョージ・ロイ・ヒル、主演ポール・ニューマン、 ロバート・レッドフォード、キャサリン・ロスと時代の名優を揃え、42回アカデミー賞で脚本・撮影・作曲・主題歌の4部門でオスカーを獲得しました。特に音楽を担当したバート・バカラックはゴールデングローブ賞やグラミー賞もとっています。

それだけの名曲ということです。もちろん作詞ハル・デヴィッド、作曲バート・バカラックの名コンビの作品です。バート・バカラックは小生の最も好きなポピュラーミュージックの作曲家で思い入れはひとしおですが、その話はまた別の機会にということにして・・・・・。

残念ながら「明日に向かって撃て」はリアルタイムでは見ていません。でも同じメンバー(監督ジョージ・ロイ・ヒル、主演ポール・ニューマン、 ロバート・レッドフォード)で後年作られた名作「スティング」は、京都での予備校時代にリアルタイムで見ました。

雑誌で「映画のスクリーンを上手に写真に収める方法」とか何とかいう記事を読んで、同じ下宿屋の仲間と彼のカメラを借りて実際に映画館でシャッターを切りながら見たのを憶えています。映画が素晴らしかったのも当然のことながら、実は写真もバッチリでした。モノクロで全くブレもなくシーンが切り取られていました。楽しかったなあ・・・・京都時代・・・・・。

YoouTubeでこの映画のワンシーンを使ったこの曲の動画がありましたのでご紹介します。

BJ Thomas 「Rain Drops keep falling on my head」


ポール・ニューマンさん素晴らしい作品と思い出をありがとうございました。合掌。

今日も北海道は冷たい雨が降りました。昨日から寒さに耐え切れずとうとう暖房ON。
4日前には26度あったんですよ。それが一気に冬が来た感じです。

実は北国はこの頃が一番寒く感じます。夏の暑さにカラダが慣れたところに、急に寒さがやってくると本当にシンドイものがあります。真冬はもちろん寒いんだけど、そこはカラダも慣れているし、暖房も常時はいっているので、家の中ではそんなに寒さを感じることはないんでしょうね。

もっとも北海道の家は本州では考えられないほど気密性が高くて、そこにガッチリ暖房しますから、家の中は本州よりもかなり暖かいです。小生が子供の頃はそんなに機密性の高い家などありませんでしたが、石炭ストーブをガンガン焚いて、家の中で裸でビールを飲んでいる伯父の姿を良く目にしたものです。

今も両親が年をとったせいか、はたまたそれと伴に動かなくなったせいなのか、実家では暖房はかなり高めです。時々寄るのですが、あまりの暑さにクラッとくることもあるほどです。

さてさて、今日はまた懐かしの音楽の話です。

前回70年代の外国のPOPS(ROCK?)を紹介しましたが、今回は70年代の日本のPOPS。

このところのお天気からの連想で、荒井由美 「12月の雨」 (1974年10月5日発売)

MISLM.jpg

1974年10月5日に発売された2枚目のアルバム「MISSLIM」からシングルカットされた曲です。

当時は高校3年生でした。クラスの女の子は年が近いこともあって詞に共感するところ大だったんでしょうね、ユーミンが大好きみたいでした。生意気にもその当時小生も恋なんぞをしていまして、その彼女にユーミンの素晴らしさをコンコンと説明されたのを憶えています。

でも当時の小生は、それこそJazzにドップリっていう状況で、繊細な女の子の世界に興味を示そうとも思っていなかった・・・・・のですが、彼女の強烈な勧めでファーストアルバムの「ひこうき雲」を買いました。それなりにいいなあとは思ったんですが、やっぱりガールズ・ワールドという感じはぬぐいきれませんでした。しばらくして2作目のアルバムが出て、ラジオでこの「12月の雨」が流れてきたときには、もうノックアウト状態でした。

歌詞の世界というより、音楽の世界に一発でやられました。とにかくアレンジがカッコイイ!メロディもイイ!特にサビ部分の音程が二度上がるメロディラインは今までの日本の曲にはなかったんじゃないかな(定かではありませんが・・・・・)。でもアルバムは金がなくて買えず、シングルだけを買って聴いていました。アルバムを買えたのはサラリーマンになってからでしたなあ。

しかし、バックコーラスに山下達郎や大貫妙子を従えているとは・・・・・・スゴイ。

よければ聴いてみてください。最初のイントロからやられちゃいますよ^^。

荒井由美 「12月の雨」


最初は歌詞にあまり興味の無かった小生でしたが、実は冬は鬼門だったんです。その当時の彼女というのがアルペンスキーの選手でして、雪の季節になると半年間はほとんどお別れ状態になったんですな。小生はといえばウインタースポーツはサッパリで、冬はもっぱらウイスキーのほうで・・・・。

こうなると一人取り残された気分になって、雪の季節は淋しかったのを思い出します。
雪=別れの始まり・・・・。この曲の歌詞にそんな自分を重ねていた時代があったですなあ。

若いってやっぱり素晴らしいもんですね。


追記:2008.09.30

当初のYoutube動画(12月の雨)は残念ながら削除されてしまったようです。
別のもを探したのですが見つかりませんでした。
そこで、ユーミンメドレーの中に一部だけ「12月の雨」が入っているコンテンツがあったので、それに差し替えさせていただきました。一曲フルのバージョンが見つかったらまた差し替えたいと思っています。
でも、こういうものはいろい権利関係があって難しいから、すぐ削除される運命かとも思います。
(この程度なら大目に見てくれるくらいの太っ腹だとうれしいのですが・・・・)

追記:2008.10.12

元曲が復活しましたので、再度差し替えました。
これで当分持ってくれると嬉しいなあ・・・・。



今テレビでは「朝まで生テレビ」をやっています。その中で小泉改革の功罪について色々な意見が戦わされていますが・・・・。

小泉元総理が昨日政界引退を発表しました。マスコミはどこもここもこぞってそのニュースを取り上げている・・・・。

なんだかなあ・・・・という気分です。これだけ日本という国(国民生活)をぶっ壊して、自分はオヤジの年を越えたから引退する。総理を辞めたあとは議員引退の時期をずっと考えていて、今回総選挙という状況になったこともあって、自分は引退し跡目を次男の進次郎に継がせると・・・・。

やっぱり目立ちたい人だったんでしょうねえ。総理を辞めたら注目度が下がってしまって寂しい思いをしていたんじゃないでしょうか? それが政界引退するとなった途端、またもやマスコミの注目の的。ヘタすれば福田総理の首相辞任よりも扱いが大きいような感じさえする・・・・。

そういう意味では風貌・語り口・パフォーマンス全てマスコミ向けの人物だったんだということを改めて思い知らされました。これは一種の芸ですね。政治家というより扇動家。

それにしても、壊しに壊した上何一つ謝罪もせず、堂々と胸を張って政治の世界から去るその姿は小生にはやっぱりデーモン(サタン)にしか見えません。自分が一体何をしたのかということが本当にわかってないんでしょうね。

小生が約8年前、小泉政権が誕生した頃に書いた記事があったので読み返してみました。
(よろしければご覧ください。)

・日本という国の行方(その壱)
・日本という国の行方(その弐)
・日本という国の行方(その参)

あの頃想定したとおりにモノゴトは進みました。
あの頃想定したとおりに国民はどん底に突き落とされました。
あの頃想定したとおりに竹中平蔵は慶応の教授職に戻りました。

そして小泉元首相は引退し、その後次男の進次郎が継ぐことになりました。

国民は明日の暮らしもどうなるかわからないという崖っぷちに追い込まれていても、偉大な政治家はその特権的地位を息子に連綿とつなげていく・・・・。

息子には直接非はないから可哀相ではあるけれども、そんなに簡単に自分たちだけ何の傷も負わずスンナリ特権階級として生き残っていくのは、小生は何としても許せないです。
神奈川11区で見事落選してほしいです。

それにしてもことここに至っても、次期首相として小泉を支持する国民が20%もいることに小生は唖然とします。たぶん生活に困ってない家の方々だとは思うのですが、それにしてもそこまであなた方は愚かなのか・・・・・と。そういう人々からすれば、小泉なる人物を氷川きよしと同列で見ているような感じがしてなりません。それは違うだろ・・・・。

それほど悪魔は魅力的だということかもしれません。悪魔は偉大な催眠術師です。一日も早く正気に戻られますように・・・・。

それと、マスコミのみなさん! 一介の政治家の引退にそれほど群がらないでください。あなたたちも一日も早く正気に戻ってください。

大丈夫か?日本・・・・・。