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今からはるか30年近くも前、私の通う高校の教室では数名の仲間達の間で一冊のノートに様々な書込みをして遊んでいました。内容は雑多…。ある者は読んだ本の感想を、またある者は映画や音楽の評論を、その他イラスト、ショートショートと呼ばれた超短編小説から人生論まで…。書き手は数名でしたがそのノートはクラスメイトの多くに回し読みされ一時期かなりの盛り上がりを見せました。それは何の変哲も無い1冊の大学ノートにすぎませんでしたが、そこには間違いなくその年頃の若者にしか発することの出来ない輝きがありました。

私もその書き手の一人でした。今となっては定かな記憶はないのですが、おそらく青臭い人生論などを書いては独り悦に入っていたのではないかと思います。内容も空虚で地に足のついていないものだったかもしれませんが、書くことがとても楽しかったことだけはしっかりと印象に残っています。

さて高校3年となりいよいよ本格的に針路を決めなければならない時期を迎えた時のことです。

私自身は「将来ああなりたい、こういう仕事に就きたい。」という具体的で切迫した目標は何もありませんでした。周囲に流されて漠然と医者になろうかなあ…などとお気楽に構えていたのです。ところが学力試験の物理で奮闘努力して全問回答の末、見事0点を取ってしまいました。担当教師からは「君は理系には向いてないんじゃないの?」と言われる始末。この出来事は私にとって本当にショックでした。

『薄々感じてはいたものの、やっぱりそうか…。』

この時点で私は一気に文系転向を決心しました。これが後々大きな人生の転換点の一つになろうとは思いもしませんでした。やはり人生とは不可思議なものです。

そんなこんなの頃ある友人から「将来どうするの?」と尋ねられて、とっさに「モノ書きになる!」と答えている自分がいました。なんでこんな事を言ったのでしょう?

理系脱落文系転向組としてはそれが精一杯の見栄だったのかもしれません。確かに幼い頃から本の好きな子供でした。それに自分自身が何かを表現することに快さを感じていたのも事実。当時生意気にもJazzを演っていたこともその一つの表われかもしれません。そして何よりも「モノ書きはカッコイイ!」という盲目的な思い込みが背景にあったのは間違いないところでありました。

当時の私にはサラリーマンになって上司の命令に従って何となく生きていくのを潔しとしない気分がありました。それはカッコ悪いと思っていました。反対に作家に代表される、組織の力に頼らず誰からも命令されることの無い文化人や芸術家がとにかくカッコイイと思っていました。

「カッコイイ」存在になることが当時の私の志望であり、その具体像はまだ形になっていなかったのです。もちろん当時は表面的なカッコ良さしかわかっていなかったんですけどね…。

そんな価値観で生きていましたから、ガリ勉はカッコ悪く、勉強せずに試験でいい成績をとることはカッコイイ。合唱はカッコ悪くJazzはカッコイイ…。全く浅はかなものです。

中学時代はそれでなんとかなったものも、さすがに高校では通用しません。勉強しないのだから成績はどんどん落ちていく。そして受験、これまた当然の帰結として不合格。こうして私は浪人生として人生の新しいステップに移っていくことになりました。

ささいな人生の不連続線にすぎないのですが、いろいろなことがこれあり、失意をひた隠しながら私が向かった先は京都でした。

親元を離れてみたいというこの年頃特有の自立心と、修学旅行で訪れた際すっかりお気に入りになってしまったことが京都の街を選ばせたのでしょうか。そして初めての独り暮らしは同じ予備校に通う仲間8人が共同生活する下宿屋さんでした。

このように私を取り巻く環境は大きく変わったのですが、一度身についた悪癖と価値観というものは簡単には抜けてくれないものでした。これは「自信」という厄介なものについても言えるようです。

何の裏付けも無いのに「イザとなったら必ずや何とかなる!」という「カラ自信」と「カッコよさ」を物差しとした価値観。これらはその後もずっと私につきまとって離れませんでした。もっとも「カラ自信」についてはある時期を境に「自信喪失」という対極にドッカと腰を据えられてしまい、それまでのツケを痛いほど払わされることになるのですが、それはまた別の機会にお話することにしましょう。

(第一部 終了)
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予備校通いが始まりました。最初のうちこそ真面目に通っていたのですが、いつしかまた怠惰な生活に…。若さゆえ体力だけはあったので昼間はあっちこっちの寺社巡りや祭り見物、そして夜は時々だけどわずかな金を握りしめて行灯に火の灯る繁華街へ…。

京都木屋町というのはなんとも風情のあるところで、高瀬川の両側に柳(?)並木の小道があり、その道沿いにこじんまりとした店構えの飲み屋さんが並んでいます。その北のはずれの方、三条のあたりに「ヴィオロン」というアンティークな感じなのですが、どこか得体の知れない雰囲気で静かにJazzを流している飲み屋さんがありました。

ある日下宿の仲間と二人でそこへ行ったときのことです。店に入るとスーツ姿のサラリーマンがカウンターで独り飲んでいました。どうやらかなり酔っ払っているようで、何やらブツブツ独り言を言っています。

私たちはちょっと離れた席でビールを飲んでいたのですが、

「おい!そこの青少年、ちょっと来い!」との声。

当時の私も怖いもの知らずで隣に座り直すと

「お前ら学生か?」

「まだ予備校生ですけど」

「予備校生の分際で酒くらうってか…、いいご身分だな」

「ハァ…。」

「どうせ金無いんだろ。オゴッテやっからこれ飲めや」と自分のボトルを差し出します。

『やった、ラッキー!』と思いつつそのオジサンを良く見れば意外に若い感じ。こちらのことを青少年呼ばわりするほどの歳でもない。兄貴といってもいいくらいの年格好です。
でもかなり悪酔いしてます。何があったかは知りませんが…。

ありがたく頂戴した水割りをチビチビ飲っていると、

「お前ら将来何になりたいんだ?」と唐突な質問。

浪人になったと言っても、私は相変わらず将来の具体的目標は何一つ描けていませんでした。そんな中無意識に口をついて出た言葉がまたもや

「モノ書きになりたいんですけど…。」
まさに口からデマカセ、イイカゲンなもんです。

「ホーゥッ…」酔った兄貴の目が一瞬マジになったような気がしました。

『何かヤバイ雰囲気、参ったなあ…。』と思う間もなく

「何か書いたことあんのか?」

「ええ、ちょっとだけ」
『ここは適当に話しを合わせておいた方がいいみたい…』

「その時どんな感じがした?ん?」

「他人に読まれると思うと、ちょっと気恥ずかしいというか、そんな感じが…」

「それよ!それ!」

「えっ?」

「モノを書くっちゅうことはコッパズカシイものなんよ。だってそうじゃねえか、書かれたものには自分の体験とか感じ方とか、そういうもんが全部浮き出てくるわけよ。だからな、それをコッパズカシイと思ってちゃ何も書けんのよ!」

「兄貴は作家なんですか?」

「おうよ。今は身過ぎ世過ぎのための宮仕えだがな…。」

よくよく話しを聞いてみると、兄貴は元々は江戸っ子で今は広告代理店のD社勤め、学生の頃から小説を書いていて、いつかは筆一本で身を立てたいと願っているが、まだ世に認められない…とのこと。良く見ると細いカラダに鋭い目付きをしています。よくある作家タイプ…?

「お前その覚悟はあるのか?」

「えっ?」

「覚悟だよ、覚悟」

「何の覚悟ですか?」

「バカかお前は、恥を晒す覚悟だよ!」

「…………」

そうこうするうちに兄貴は泥酔状態に…。

「俺んちで飲み直しだ!ついて来い!」

訳が分からないままアパートまでついて行き、部屋に入るといきなり分厚い原稿用紙の束を見せられ、アッと気がつくと兄貴は高イビキ。

次の日の朝早く起き出した兄貴は「何でコイツラいるんだ?」といった顔。どうも昨晩の出来事は良く覚えていない様子です。

「これから会社なんだから、さっさと帰れよ!」

これまた良く分からないうちに部屋を叩き出され、眠気で朦朧とした頭を抱えながら下宿へ戻るはめとなりました。

(第二部 終了)

追記:京都三条のViolonのHPがありました。こちらです。


violon01.jpg

まだ現役でがんばってるんだあ・・・・・。ちょっと感激です。(2008.09.27)

(過去投稿時の原文を多少加筆修正しています。)

しかし「カッコイイ」代表選手だと思っていた作家が、「カッコワルイ」ことの代表ともいうべき自らの恥を晒すという覚悟なくしては成り立たないとは…。

確かに人の目に立つということはある意味快感ではありますが、逆の面から見ると恥ずかしいという感覚になりますよね。もちろんこれらの感覚バランスのどの辺に位置するかは個人差もあるし、同じ人間でも時と場合によって微妙にその位置がズレたりもします。

また一口に「表現する」という行為であっても、美術や音楽といった芸術分野では、受け手の瞬時の直観的・抽象的印象ともいうべきものが圧倒的に強く、作品そのものに作者の人間性が直接的に現れるということは少ないかと思いますが、普遍的で思考に直結する言葉を伝達手段とする文学の場合は、読み手の意識的思考によって絶えず解釈・批評され、その言葉の積み重ねの裏に隠された作家の人間性や人生観が如実に炙り出されてしまうという特質があるように思います。

煎じ詰めれば、モノを書くという表現行為ではその作品中に否が応でも自分自身の人間性や人生観が投影されてしまうわけで、作品を通じてある意味裸の自分を見られるような気恥ずかしさを余儀なくされるということになるのかもしれません。

もちろんこの気恥ずかしさをひた隠しにするために、思いっきり分厚い仮面をかぶって別人格になりきるという方法もあるでしょう。でもそういった方法で書かれたものが本当に自分が書きたかったものになるのかは大いに疑問です。

自分が何かを伝えたいと願って書いたモノには紛れも無くその作者の人間性が現れるし、逆にそれ無くしては読み手に自分の伝えたいと願ったことも伝わらない。ましてや感情を揺り動かすことなど有り得ないと思うのですな。やっぱりモノ書きになるためには自分自身を曝け出すという開き直りというか、ある意味での強さが必要になってくるんですねえ。こう書いてきて改めて自分自身納得しています。

私は昔から何かを表現し、自分の人生の足跡みたいなものを形として残しておきたいという願望が強くあります。ここまでの40数年も紆余曲折の人生でしたが、今は作曲をし、作品をある程度の形に完成させ、インターネットという手段を通じて多くの人に伝えたいと活動していますが、最近になって音楽だけでなく、永年の憧れでもあった「モノ書き」にも挑戦したくなりました。

この齢になってあの高校時代の落書き帳の真似事がしたくなったのかもしれません。もちろん「モノ書き」と売春婦は元手がかからないといった理由もありますが…

そして「さて何を書いてみようか…」と思ったときに真先に頭に浮かんだのが先のエピソードでした。今回文章を書いて誰かに読んでもらいたいと思ったからといって、例のコッパズカシサを克服したわけではありませんし、果してどれだけ自分自身を曝け出す覚悟があるのかもわかりません。ただ戸惑い踏みとどまっているだけでなく、あまり深く考えないでやりたいのならやってみようかなという心境になったのも、年齢というものがもたらしてくれた恩恵ちゅうものなのかもしれませんな。

私の書く文章が皆さんにとって面白いものになるかどうかは全くわかりません。ただ10代の頃のように背伸びして、他人の言葉をあたかも自分の言葉のようにして書くといった過ちを犯すこと無く、様々なテーマについて自分自身の感じたままを自分自身の言葉で気取ること無く書いていきたいと思っています。

えっ?ずっと札幌暮らしのガキがどうして京都のヴィオロンなどという素敵な店を知っていたかって…?

実は高校時代に付き合っていた女の子と修学旅行のときに二人で行ったことがあるんです。精一杯カッコつけたくて、京都のガイドブックを読んで見つけておいたとっておきの店だったという次第。高校卒業と同時に二人の付き合いは終わってしまいましたが、1年後に再び訪れたヴィオロンの店の片隅には、あの日二人で書いた相合傘の落書きがひっそりと残っていました。甘酸っぱくもありホロ苦くもありの思い出です。

とんだ内輪ネタのオチで申し訳ないことです。ああやっぱり恥ずかしい
(終了)