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3月11日。曇り時々雪。昨日の天気予報では今日は吹雪だと覚悟をしていたのですが、日中は比較的穏やかに過ぎました。しかし真夜中になって予報どおり吹雪いてきました。3時間くらいの間にあっという間に20センチほどの雪が積もりました。今除雪車が通っていきました。もう3月中旬です。地球温暖化というのは単純に気温が上がっていくだけでなく、こうした天候の変動が荒っぽくなるというのも特徴のようですね。はてさてこの先どうなるのか・・・・・。

昨日トランジスタ・ラジオ「ワールド・ボーイ」の話をしました。ネットで探してみたら画像がありました。小生が中学生の頃愛用していたラジオがまさにこれであります。この「ワールド・ボーイ」はスティーブ・マックィーンが主演した映画「栄光のル・マン」のタイアップ広告を出していて、そのポスターを当時の自室の壁に貼ってあった記憶があります。

Worldboy Radio03s  Worldboy Radio04s

※2012.6.17追記
この写真は Gopさんのブログ ・MONOMONO・「モノから思い出」 より転載させていただきました。 

ラジオ「ワールドボーイ」とそのPRポスターの写真及び記事はこちらをご参照ください。
■ Le Mans [ああPorscheへの道]

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型番はRF-858(GX WorldBoy) 1971年発売(推定) 定価 15,500円 当時としては高級品です。この機種はラジオ全体を覆うハード・プラスティック・ケースがついていて、別働品のスリープタイマーを取り付けることもできました。

しかし、全てがアナログです。チューナーは当然ながら手動のバリコン型。当然ラジオ局をプリセットしておくなどという離れ業はできません。チューニング・ダイヤルを動かしながら目当てのラジオ局の周波数に合わせるのですが、その間にはどこの電波かもわからないような、中国語なのか韓国語なのか、はたまたロシア語なのかヘンテコな放送が飛び込んできます。今ではプリセットが当たり前ですから、リモコン一つで目的のチャンネルへ飛んでくれるので、このようなどこの電波かわからないような放送を聴く機会もなくなってしまいましたね。こういうところもラジオの面白いところだったかもしれません。

今のラジオと違って、必要なのか不必要なのかわかりませんが、いろいろな機能が付いています。ダイヤル・ライト(暗闇の中でのチューニングに便利でした)とか、チューニング・メータとか、MW感度切替スイッチ(DX/LOCAL)とか、3段階のTONE調節スイッチ(NEWS・SOFT・MUSICの3段階)とか、スリープ・タイマーとか。タイマーは当然今のような電子式ではなく、機械式でその動力はゼンマイです。これは昔の扇風機のスリープ・タイマーと同じで、目的の時間までダイヤルを回すとゼンマイの力で少しずつそのダイヤルがOFFポジションに向かって動いていくものです。が、これは完全に失敗でした。

タイマーをセットして枕元にラジオを置いて眠りにつこうとすると、カチ・カチ・カチ・カチ・カチ。タイマーの音が邪魔で肝心の番組の音が聞こえません。この音に負けないくらいにボリュームを上げると、結構な音量でこれまた眠りにつくという快適な状態にはなりません。タイマーはそんなことはお構いなしにカチ・カチ・カチ・カチ・カチ・カチ・カチ・・・・・・・・・・とても眠れたものではありません。という次第で寝るときは絶対にスリープ・タイマーは使わないことにしたオヤジでありました。

そんなニキビ面の頃、良く聴いていたのこが「オールナイト・ニッポン」です。今でも番組は続いているようですが、社会人になってからは聴いたことがありません。昔を懐かしんでテーマ曲なんぞを・・・・。

1965 Herb Alpert & The Tijuana Brass 「Bittersweet Samba」


いやあ懐かしいです。初代DJの糸居五郎さんのナレーションまで入っていました。感動的です。

このテーマ曲は、トランペット奏者で音楽プロデューサーであるハーブ・アルパート(A&Mレコード社長)による「ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラス」の1965年のアルバム『Whipped Cream & Other Delights』に収録ています。A&Mレコードといえば、小生の尊敬する作曲家バート・バカラック氏が所属したレコード会社で、ハーブ・アルパート社長も実にお茶目なナイスガイであります。

今から35年前にはパソコンもインターネットもありませんでした。携帯電話も当然ありませんでした。TVゲームすらもありませんでした。テレビも夜はそこそこの時間で終わっていました。そんな深夜に淋しさをやわらげてくれるのはラジオだけでした。個性溢れるDJのお喋りにクスクス笑い、新しい音楽をそこで知りました。ラジオはまさに先端文化の発信源でした・・・・・。お金が無くてなかなかレコードを買えない小生にとっては、ラジオが与えてくれた恩恵は計り知れないものがあったと、感謝の気持ちがわいてきます。「ワールド・ボーイ」大事に保存しておこうと思います。

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1月28日。ほぼ終日晴れ。外気温は氷点下でも、強い日差しが差し込むと我が庵の居間の気温はあっという間に26度を越えます。まるで温室ですな。こうなると暖房はいりません。しかし日が翳り夕方に向かうと今度は一気に室温は下がり21度くらいになります。暖房を入れ忘れていると寒くて寒くて・・・・。結構やっかいな部屋なのであります。

昨日の昼フジテレビのトーク番組「ごきげんよう」を見ていたら、中山秀征がゲストで出ていて芸能界独特の言い回し(いわゆる逆さ言葉)を披露していました。この業界言葉はそもそもバンドマンが使っていた隠語で、それが芸能界全般に広がったものなのですが、なかなか奥が深くて面白いものでもあります。小生も大学に入って早稲田のハイ・ソサエティ・オーケストラというジャズのビッグバンドに少しだけ所属したのですが、そこでこの業界言葉の洗礼を受けたこともあって、懐かしく聞きました。ただ小生はこのバンドマン言葉にはなかなか馴染めず、颯爽とこういう言い回しをする仲間に正直違和感を感じることのほうが多かったかな。

この業界言葉は簡単に言ってしまえば言葉を逆にするのが基本です。例えばビールは「ルービ」、ピアノは「ヤノピ」、めしは「シーメ」などなどです。4文字言葉であれば最初の2文字と後ろの2文字を逆転させるのが基本です。あくまで反対から読むのではありません。例えば、タクシーなら「シータク」が正解であって、「シークタ」にはなりません。3文字言葉では、一般的には最初の2文字と後ろの1文字に分割して逆転させますが、最初の1文字と後ろの2文字に分割することもあります。また間に「ー」を入れて言葉を伸ばすのが一般的ですが、これも伸ばさないケースもあります。結局キチンとルールが定まっているわけではなくて、長年の言い回しが伝統的に受け継がれていることが多いみたいです。

ということで実例を少しあげてみますね。ジャズは「ズージャ」、マネージャーは「ジャーマネ」、ギャラは「ラーギャ」、譜面は「メンフ」、しゃべりは「ベシャリ(例外的ケースですね)」、旅は「ビータ」、コーヒーは「ヒーコー」、ラッパは「パツラ」、金持ちは「ネカチモ(これまた例外的)」、派手は「デーハー」、ホテルは「テルホ」、ただは「ダータ」、ギターは「ターギ」、安いは「スイヤ」、飯は「シーメ」、酒は「ケーサ」、楽器は「キーガ(これまた例外的)」、うまいは「マイウ」などとなります。

またバンドの数字の数え方は、1(C)ツェー、2(D)デー、3(E)イー、4(F)エフ、5(G)ゲー、6(A)アー、7(H)ハー、8(octave)オクターブまたはターブ、9(nine)ナイン、またはナインスとなります。こっちはなぜかドイツ語読みです。

実際には、「ゴトシ終わったらミーノ、行きます?」    「沖縄のショクナイ、どうだった?」「マークルビーエーがマイウ!」   「今日のターウのチャンネエ、あれポンニチ?」「いやジンガイ。」   「今度のビータのラーギャはどんくらい?」「一日C万G千(ツェーマン・ゲーセン)だって・・・・」 などと使われます。

ここからはちょっと高度な転換技術を使った応用編なのですが、中山秀征クンはこんな例を紹介していました。

・「トリビク」 使い方 「そこのトリビク取ってもらえる?」
 これは、「トリビク」→反対読み→「ビクトリ」→日本語訳→「優勝」→音読み→「ユウショウ」→反転→「ショウユウ」→「醤油」となります。

・「Every Week」  使い方 「今日のトーベンはEvery Week でいい?」
 これは、「Every Week」→日本語訳→「毎週」→音読み→「マイシュウ」→反転→「シュウマイ」→「焼売」となります。

なかなかですな。しかし、小生がハイ・ソサエティ・オーケストラにいた頃聞いたのはもっと高度でエレガントなものでした。それは

・「プテキャン」 使い方 「今晩はプテキャンにルービで豪勢に行こう!」
 これは「プテキャン」→反転→「キャプテン」→日本語訳→「船長」→音読み→「センチョウ」→反転→「チョウセン」→「(朝鮮)焼肉」となります。

かつてはこのような言葉が行き交う場所に身を置いていたこともあったですなあ・・・・。

お粗末さまでした。jumee☆stretchingL2

12月6日 やっぱり昨日の雨は雪に変わり、今日は一面真っ白の世界に早変わりです。

急に寒い日になりましたが、これがある意味当たり前。午後8時頃、実家に向かう途中にある温度計を見たら、マイナス6度でした。

懐かしいCMソングを3曲ほど紹介しようかな・・・・と思っていたんですが、その矢先に候補に上げていた1曲がYoutubeから削除されてしまいました。非常にレアな楽曲で代わりが存在しません。ということで、最終回にと思っていたこの曲をご紹介します。

そう、皆さんお馴染みのサントリーオールドのCM曲、1967 サイラス・モズレー 「人間みな兄弟/夜が来る」です。「ロン・ボン・ディラン シュビダ・ディン オデーエーエエーオー・・・」のスキャットと言えば、懐かしく思われるのではないでしょうか。

小生も少しばかりギターが弾けるようになった中学生頃、この曲を耳コピーして適当に弾いていたことを思い出します。

この「人間みな兄弟/夜が来る」はサントリーオールドのCM曲として作曲されたもので、作曲者はあのCM音楽の巨匠小林亜星氏。そしてオリジナル・バージョンは男性のスキャットとギター伴奏によるもので、スキャットを歌ったのは、当時上智大学の教授であったサイラス・モズレー氏ということだそうです。

この「人間みな兄弟」のタイトルは、かつて壽屋(サントリー)宣伝部に所属していた開高健氏が考えたキャッチコピーで、小林亜星氏がこのキャッチコピーからインスピレーションを得て作曲したと伝えられています。ちなみに厳密に言えば、スキャット・バージョンの曲名が「人間みな兄弟」で、後に歌詞がついたバージョンが発表されたときの曲名が「夜が来る」ということらしいです。

では懐かしの世界にタイムスリップ GO!

1967 サイラス・モズレー 「人間みな兄弟」

 

映像は80年代オールドのCMに出演していたリー・ヴァン・クリーフ氏。マカロニウエスタンの悪役大スターです。このスキャット&ギターの「人間みな兄弟」がシンプルで心に染みますなあ。何ともいえない深み・味わいが心に染み込んでくるようです。何度でもリピート再生で聴きたくなります。

こちらに実際のCMバージョンの動画がありましたので、よろしければどうぞ。

・Youtube動画 : サントリー・オールドCM 1974 顔編 (いい年をとっている顔ですなあ・・・・)

・Youtube動画 : サントリー・オールドCM 成人を迎える息子への手紙編 (もう泣きそうです)


しかし、サントリーの宣伝部の人材はすごかったですね。前に出た開高健氏や山口瞳氏などの錚々たる作家が鎮座ましましていたんですもんね。小生も昔々仕事で茅ヶ崎市を回っていたとき、開高健氏の自宅の前を何度も通ったことを思い出しました。

ただ、小生は元々北海道生まれ・北海道育ちの生粋道産子ですから、ウイスキーといえばやっぱりNiika党なんですな。高校1年生で初めて悪事を覚えてウイスキーを口にしましたが、それはHi Nikka でした。場所は以前お話したススキノに一人暮らしをしていたクラスメイトの部屋で・・・・・。たいして飲みもしなかったのに、ひどく悪酔いしたのだけは確かです。怖い

そしてススキノといえば、Nikkaのステンドグラス風のあのネオンサインですよね。

Nikka04.jpg

ニッカの顔ともいうべき、Black Nikka のラベルの人物像、「King of Blenders」のネオン看板。大阪ならさしずめ道頓堀の江崎グリコのネオンサインに匹敵するものです。でもこういう地域の特色がハッキリ出たネオンサインはとても魅力的ですよね。東京にはそんなものがあるでしょうか? 銀座で目に付くのは<マル源>のビルのマークかな・・・・・?

しかしそんな小生も北海道を離れ、学生として東京暮らしになってからはニッカを飲む機会はほとんどなくなって、もっぱらサントリーでした。しかもオールド(ダルマ)なんぞは高嶺の花で、やっとこさ飲めたのはサントリー・ホワイト。ちょうど当時はジャズ・シンガーのサミー・デイビス・ジュニアがCMをやっていたっけ・・・・。

ジャズの練習を終えると丁度夜の6時頃で、その足でメンバーと高田馬場のさかえ通りへ直行です。その一番奥にある「鳥やす」で腹ごしらえをして、向かいのジャズ酒場の「DUO」でジャズ談義やら恋愛談義やらをしながらホワイトをしこたま飲む・・・・。ボトルを1本入れて結構おつまみを食べて、4人で行って一人だいたい1500円。終電もなくなり、そのまま中落合・目白とダラダラ歩いて小生のアパートのあった椎名町へ。そこで仲間と雑魚寝・・・・・。

それくらい練習が終わると必ず飲んでいました。そんなことから、ジャズ研のリサイタルの際には「アルチューる評議会」というありがたいバンド名を頂戴しました。

いやあ懐かしい思い出です。

それで、いざ就職というとき、小生が一番の候補に考えた先がニッカ・ウイスキーでした。就職は1980年だったんですが、当時も今ほどではないにしろ結構な就職氷河期でした。2年前の1978年の第二次石油ショックの影響で、世間はまだまだ不況ムードだったわけです。

でも「なんでニッカ・ウイスキーなの?」ってことですが、要は品質ではサントリーを圧倒しているのに、販売面でサントリーにこれほど水を開けられているのが納得できず、これを何とかしたいと本気で考えていたんですな。

で、事前にニッカ・ウイスキーを訪ねたところ、「今年は新卒を採用しない」との返事。「そこを何とか・・・・」と頼み込んでも結局埒が明かぬまま会社訪問解禁日の10月1日に。この日は就職活動をする者にとっては「ヨーイ・ドン」の号砲が鳴る貴重な日で、この日に会社訪問しなければ、まず入社は難しいと言われていました。そんな中小生がとった行動はと言えば、いの一番に向かった先が日本橋の「ニッカ・ウイスキー」。バカですよね・・・・。

先方の人事担当者が出てきて、「何で来たの・・・・」と呆然とした顔。「君の熱意は充分わかったけれども、どうやっても採用することはできない。」「頼むから、他の会社を急いで訪問するように・・・・」と最後には逆に懇願される始末。

そんなこんなでニッカ・ウイスキーへの就職は叶わず、第二希望の会社へと就職することになったのですが、今から振り返ってみれば、ここにも大きな人生の転換点があったように思います。

その後社会人になってニッカが飲めるときは、いつもニッカを飲んできました。最初は「G&G」(サントリー・オールドのライバル商品)、それからはもっぱらスーパー・ニッカ(サントリー・リザーブのライバル商品)だったなあ・・・・。

あれだけ飲んできた小生が、今では特に酒を飲みたいとも思わなくなった・・・・。不思議です。

いやあ、ついつい思い出話をダラダラと・・・・。失礼しました。
これもこの懐かしCMソングのせいかも・・・・・。笑い。

12月5日 今日は日本列島に嵐がやってきました。季節外れの暖かさで、わが北の街でも気温が10度を越えました。12月で2桁の気温は4年ぶりということらしいです。暖かのはありがたいのですが、その直後に急激に寒くなるのがどうもキビシイ・・・・・。小生のアタマもまともに回転せず空回り気味です。

外はまだ雪になっていませんが、これから雨が雪に変わっていきそうです。まるで山下達郎のあの「クリスマス・イブ」の歌詞のようです。『雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう・・・・。』

そうなんですねえ。あと20日もすればクリスマスなんですねえ・・・・・。

さてと前回資生堂の男性用化粧品の話をしましたが、資生堂といえば素敵なCMの宝庫。そんな中でも小生が一番印象深いのが、FM東京をキー・ステーションに放送されていた資生堂提供のJazz番組。そうです、あの「渡辺貞夫 My Dear Life」です。

遠い記憶では、小林克也さんのあの低い声で「BRAVAS 渡辺貞夫 My Dear Life ・・・・ 提供は資生堂でお送りします・・・・。」と語りかけられていたように思います。

当時は番組のオープニングとエンディングにこの曲がBGMとして流れ、小林克也氏のナレーションがかぶさる形で、この曲自体を通してしっかり聴くことはなかったんじゃないでしょうか。

小生がこの曲をちゃんと聴けるようになったのは、19977年に発売されたアルバム「マイ・ディア・ライフ」を買ってからだと思います。当時は大学生でJazz研に籍を置いていました。あまりフュージョンのレコードを買うことはなかったのですが、どうしてもこの「My Dear Life」が聴きたくてなけなしの千円札を財布から取り出しました・・・・。そんな思い出がいっぱい詰まった曲です。

Nabesada01.jpg


よろしければお聴きください。これぞナベサダ・ワールドです。時間も長いので充分BGMになります^^。

残念ながら埋め込みが許可されていないので、下のタイトルのリンクをクリックしてください。
別窓でYoutubeの指定動画が表示されます。

Youtube動画 : 1977 渡辺貞夫 「My Dear Life」

Jazzのラジオ番組といえば、まず「ナベサダとジャズ」と番組がありました。そしてNHKFMでタイトルは忘れましたが、週に1度くらい昼間に、そして夜には「クロスオーバーイレブン」という番組がありましたな。そして民放ではFM東京の「My Dear Life」。

このFM東京の「渡辺貞夫 My Dear Life」は翌1978年発売の「カリフォルニア・シャワー」をはじめ資生堂ブラバスのCMで有名だった時期を中心に放送されていましたが、今でも「Nightly Yours」と番組名は変わったものの続いているようです。

「渡辺貞夫 Nightly Yours」毎週日曜 深夜24:00-30 TOKYO FM (今は聴いていないなあ)

渡辺貞夫氏はJazz小僧だった小生にとって、輝くばかりの存在でした。ボストンのバークリー音楽院に留学して最先端のジャズを勉強し、その成果を「Jazz Study」というJazzの理論書として発売されていました。小生なども高校時代にその百科事典くらいある分厚い本を買って、自分も少しでも本格的に勉強しようと思ったのですが、それが実に難解で、この「Jazz Study」を理解するために、また別の理論書が必要になる・・・・という状況でした。それくらい難しい本でした。

また高校のJazz研の演奏会でもナベサダ氏の曲を採り上げていました。「東京組曲(Tokyo Suite)」に収められた「サンセット」をフルートの奥○君と、ギターの奈○君のデュオで演奏した音源が今も残っています。

そして、このアルバム「My Dear Life」には、タイトル名こそ「LA Suite : Sunset」となっていますが、この「サンセット」が収録されていたことも、「何が何でも買わねば・・・・。」と決意させた理由でした。

アメリカから帰ってきたナベサダ氏は、1970年代に入ってからアフリカ音楽やブラジル音楽への接近を見せ、既に純ジャズの演奏の中でも独特なフュージョンに近いアプローチを見せていました。その成果は素晴らしいもので、まさにナベサダ的音楽世界ともいえるものでした。どのアルバムも魅力的でしたが、小生は個人的には「Pastoral」がお気に入りでした。

その渡辺貞夫氏がフュージョン畑のディブ・グルージンをプロデューサーに迎え、突如フュージョンのアルバムを発表したのです。そのアルバムが、まさに「マイ・ディア・ライフ」でした。そして翌1978年に発表されたアルバム「カリフォルニア・シャワー」が資生堂のCMとのタイ・アップ効果もあってジャズとしては空前の大ヒットとなり、ナベサダはジャズ・ファンだけでなく、日本を代表するジャズ・プレイヤーとして広く国民的に認知されるようなったといえるかもしれません。

最後にアルバム「My Dear Life」のパーソネルをご紹介しておきましょう。

演奏
[ドラムス]: ハーヴィー・メイソン (HARVEY MASON)
[フルート]: 渡辺貞夫 (WATANABE SADAO)
[ギター]: リー・リトナー (LEE RITENOUR)
[ピアノ]: デイヴ・グルーシン (DAVE GRUSIN)
[パーカッション]: スティーヴ・フォアマン (STEVE FORMAN)
[アルト・サックス]: 渡辺貞夫 (WATANABE SADAO)
[トロンボーン]: 福村博 (FUKUMURA HIROSHI)
[EL-B]: チャック・レイニー (CHUCK RAINEY)
[EL-P]: デイヴ・グルーシン (DAVE GRUSIN)
[EL-G]: リー・リトナー (LEE RITENOUR)
[CONGAS]: スティーヴ・フォアマン (STEVE FORMAN)
[SOPRANINO]: 渡辺貞夫 (WATANABE SADAO)

商品情報 発売日:20060524 レーベル ビクター

12月4日。曇りのち雨、夜半より暴風。一時期強く降った雨は今はあがったものの、強い風がゴウゴウと音を立てて吹き付けています。気温は高く、この調子では雪にはなりそうもありません。幹線道路はもとより、住宅街の中の一般道でも雪はほとんど溶けて、アスファルトの路面が見えています。

11月に物凄い寒気がやってきてドサッと雪を降らせたときは、「今年はこりゃあ大変だあ・・・・。」と思ったのですが、今では雪が少なくて北海道のスキー場は悲鳴を上げているとニュースで言っていました。

さて、今までずっとシリーズでご紹介してきたフレンチ(ヨーロピアン)・ポップス女性編も終わってしまいましたが、これら60年代の楽曲が今でもCMに起用されていますね。この間もどこかのクルマのCMで、あのフランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」が流れてきて、ビックリしました。驚く

そろそろ70年代に戻ろうかなあ・・・・という気持ちになっているんですが、今回はCMソングつながりで少しご紹介してみたいと思います。

その第一弾がこれ、1970 Jerry Wallace 「Lovers Of The World 邦題:男の世界」

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なんとこの曲は1970年のニッポン放送「ポップス・ベストテン」年間ランキングで4位に入っています。ちなみにビートルズの「レット・イット・ビー」が17位、サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」が7位ですから、大変なことです。前回ご紹介したクリスティの「イエロー・リバー」は5位にランク・インしていました。しかしこの曲がヒットしたのは日本でだけ・・・・・。

そうです。あの男性整髪料<MANDOM>のCMソングとして大ヒットしたわけですな。

じゃあお聴きいただきながら昔話でも・・・・。

1970 Jerry Wallace 「Lovers Of The World 邦題:男の世界」


1970年といえば昭和45年。日本も戦後の高度成長期を経てかなり生活も豊かになってきました。男性もだんだんとオシャレに気を使うようになってきました。ただ時代は短髪が当たり前。しかし日本人の髪質はどちらかというと硬くて太く、短髪では髪がピンと跳ねるんですな・・・・。で、小生の親父たちが整髪料として使っていたのが、ポマードでありチックでした。

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小生などよりちょっと上の世代での定番整髪料と言えば、そう「ヴァイタリス」。東京オリンピックを境に時代は液体整髪料(特にヘア・トニック)へと変わってきていました。そして小生なども声変わりし、ニキビ面となり、ちょっとヘアスタイルも気になり始めた年頃に一番気になった整髪料が、1967年に資生堂から発売された<MG5>でした。ヘア・トニックもヘア・リキッドも全て600円というお手ごろ価格と、黒と銀のダイヤカットのパッケージのデザインがカッコよかった・・・・。テレビで流れるCMもグッとくるカッコよさでしたなあ・・・・。

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この資生堂の<MG5>に対抗して、あのチックの丹頂が満を持して打ち出したのが、この「MANDOM」でした。そして当時男臭さで人気のあったチャールズ・ブロンソンをメイン・キャラクターに据え、CMソングにこのJerry Wallaceの「Lovers Of The World 邦題:男の世界」を起用したわけですが、このCM自体が大ヒットし、商品は売れるわ、CMソングはヒットするわの一大ブームを巻き起こしたものです。この<MANDOM>の大ヒットで丹頂はその社名をMANDOMに変更したほどです。

Youtubeに当時のCM動画がありましたので、よろしければどうぞ・・・・こちら

小生もその影響を受けて、一時期<MG5>から<MANDOM>に浮気をしたことがありました。ただ当時<MANDOM>はヘア・リキッドしかなかったため、その後はまた<MG5>に戻りましたが・・・・・。

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その後、高校時代の後半には<MG5>から同じく資生堂の<BRAVAS>へと背伸びしていったような記憶があります。そして大学時代は、長髪族になったことと、貧乏で化粧品など買う余裕がなくなって、これらの品物とはおサラバしていました。そして大学を卒業して社会人になると、また多少は身だしなみも整えなくちゃ・・・・ということで、資生堂の<AUSLESE>を使っていたっけなあ・・・・。

え、今ですか?今は何も使っていません。あえて使っているといえば、ヒゲ剃り用に<サクセスシェービング・ジェル>を使っています。が、アフターシェーブ・ローションも何も使っていません。頭髪にも何も使っていません。そういえば、昔々使っていた<BRAVAS>スキン・クリームが今も洗面台のボックスの中にあったような・・・・・・。