2010.07.07
「ミエルヒ」が教えてくれたもの
今年の北海道は例年に無く異常気象のような気がします。いつもなら5月ともなれば温暖な気候となるはずが極めて寒く、そして6月にはいるや一気に真夏のような気温の日々・・・・。
先日地物のアスパラとズッキーニを買いに地元農家の野菜直売所に出かけたのですが、オバちゃんに話を聞くと「今年のアスパラは散々だったわ。最盛期の5月は寒さにやられ、6月からは暑さにやられでなかなかまともな品物が出来なかったあ。」と言っていました。確かに小生が買い求めたアスパラは今シーズン最後のモノだという事でしたが、全体的に細くて色味もあの濃い緑ではなく弱々しい感じの淡い緑でありました。
昨日今日と少しばかり熱気は収まっていますが、今シーズン最初の猛暑日(最高気温35度以上)を記録したのが、沖縄や大阪や埼玉の熊谷ではなく、北海道の足寄であり北見だとくれば、やはり異常気象と言えるのではないでしょうか。
さて本日の本題。またしてもHTB制作のテレビドラマ「ミエルヒ」についてであります。
今まではこのドラマの制作背景などについて、自分の思うところを書いてきましたが、今回は一本の作品として「ミエルヒ」が我々に何を伝えたかったのかについて少々思うところを語ってみたいと思います。
このお話は荒筋を言ってしまえば、片方の目を失明して10年ぶりに故郷に戻ってきた戦場カメラマンの剛(安田顕)が、獲れなくなったヤツメウナギ漁に毎日出る父(泉谷しげる)や昔の友人・隣人との日々の係りの中から、失明の恐怖を乗り越え、最後に自分の居場所を見つけ出す。そしてその場所とは何と大嫌いなはずの鄙びた故郷「江別」だった・・・・。というものです。
小生としては最後に主人公が「自分がそこにいることの意味」に気付いたときの「これしかできないんだ・・・・。」「ここでしか生きられないんだ・・・・。」というセリフに正直なところ違和感を感じていました。
『人間のもつエネルギーはそんな消極的なものではないんじゃないの? 植物じゃないんだし、行こうと思えばどこにだって行けるでしょう? ただ行った先に何が待ってるかはわからないけど・・・・。』というような感想でした。
それであっても「なぜこの故郷に戻ってくることになったのか?」というところが実は肝であるのに、その部分は正直言ってほとんど描ききれていない・・・・というのが何とも不満でありました。
そんなモヤモヤした気持ちに、高知県在住の映画批評家の「ヤマさん」(実はネットで偶然にも知り合った大学の同級生なんですが)の批評が一本筋道をつけてくれました。
「ヤマさん」はこの「ミエルヒ」を『居場所と生業ということについて、いろいろ思わせてくれる秀作だった。』と総括されています。
詳細は「ヤマさん」の映画批評のページ <間借り人の映画日誌 -『ミエルヒ』>を是非ご覧になってください。
その批評の中に次のような記述がありました。
>「これしかできない」であろうと「これこそがやりたい」であろうと実のところ大差なく、自身がライフワークのようにして携わり続けることのできるものが“なりわい”であり、住み続けられる場所が“居場所”なのだろう。それをそのように意識できるかどうか、再発見できるかどうかが分かれ目なのだろうが、生まれ育った地には必ずそういうものが待っている・・・・。
『「これしかできない」であろうと「これこそがやりたい」であろうと実のところ大差ない。』というヤマさんの指摘に小生はハッとさせられました。確かに自分の心が思っている状態と実際に行動した結果とは必ずしも一致していないのかもしれません。いや一致していないことのほうが圧倒的に多いでしょう。そして周りに影響を与えるのは、(まさしくそれがその人が存在したことの証しなのでしょうが、)それはその人の行動した結果からしか生まれてこないという厳然たる事実です。
そう考えれば、確かに『「これしかできない」であろうと「これこそがやりたい」であろうと実のところ大差ない。』という帰結になるわです。そんなことより『自身がライフワークのようにして携わり続けることのできるもの(=“なりわい”)』を見つけ、認め、まさにやり続けるところに人生の意義があるのかもしれません。そしてそうやって生きていく場所こそが自分の居場所になるのかもしれません。
ただ、なぜ故郷というものが自分の居場所になるのかについては、ヤマさんも説明してくれていません。小生にもわかりません。それこそそれは人智を超えた神様の領域の話になってくるのかもしれません。
またヤマさんはこうも指摘しています。
>華やかに注目される場所と豊かな所得を手にしていても、そこに居場所や生業としての皮膚感覚を得ることができていなければ、人の生は虚しく、生きることに難儀を強いられるような気がしてならない。
この言葉に小生も全くその通りといたく納得しました。田舎から大都会に出て暮している方の中にはこの言葉に強く共感される方が多いのではないでしょうか?
小生は贔屓目での批評になってしまいますが、ヤマさんは実に冷静に客観的にこの作品を批評してくれています。平均して毎日1本以上の映画作品を劇場で鑑賞し、批評活動を続けておられるヤマさんは、極力情緒を排し、これまでの映像作品との比較という視点も交えてこの「ミエルヒ」を論評してくれています。これは実に貴重だと思います。
ギャラクシー賞の優秀賞を獲ったことは素晴らしいことです。でもそれに浮かれてしまって、作品をもう一度制作者自身が吟味するということを忘れないで欲しいと小生は願っております。その意味でもHTBの制作担当の方はじめ、関係者の皆様にもこの批評を一度は読んでいただきたいと思うております。
先日地物のアスパラとズッキーニを買いに地元農家の野菜直売所に出かけたのですが、オバちゃんに話を聞くと「今年のアスパラは散々だったわ。最盛期の5月は寒さにやられ、6月からは暑さにやられでなかなかまともな品物が出来なかったあ。」と言っていました。確かに小生が買い求めたアスパラは今シーズン最後のモノだという事でしたが、全体的に細くて色味もあの濃い緑ではなく弱々しい感じの淡い緑でありました。
昨日今日と少しばかり熱気は収まっていますが、今シーズン最初の猛暑日(最高気温35度以上)を記録したのが、沖縄や大阪や埼玉の熊谷ではなく、北海道の足寄であり北見だとくれば、やはり異常気象と言えるのではないでしょうか。
さて本日の本題。またしてもHTB制作のテレビドラマ「ミエルヒ」についてであります。
今まではこのドラマの制作背景などについて、自分の思うところを書いてきましたが、今回は一本の作品として「ミエルヒ」が我々に何を伝えたかったのかについて少々思うところを語ってみたいと思います。
このお話は荒筋を言ってしまえば、片方の目を失明して10年ぶりに故郷に戻ってきた戦場カメラマンの剛(安田顕)が、獲れなくなったヤツメウナギ漁に毎日出る父(泉谷しげる)や昔の友人・隣人との日々の係りの中から、失明の恐怖を乗り越え、最後に自分の居場所を見つけ出す。そしてその場所とは何と大嫌いなはずの鄙びた故郷「江別」だった・・・・。というものです。
小生としては最後に主人公が「自分がそこにいることの意味」に気付いたときの「これしかできないんだ・・・・。」「ここでしか生きられないんだ・・・・。」というセリフに正直なところ違和感を感じていました。
『人間のもつエネルギーはそんな消極的なものではないんじゃないの? 植物じゃないんだし、行こうと思えばどこにだって行けるでしょう? ただ行った先に何が待ってるかはわからないけど・・・・。』というような感想でした。
それであっても「なぜこの故郷に戻ってくることになったのか?」というところが実は肝であるのに、その部分は正直言ってほとんど描ききれていない・・・・というのが何とも不満でありました。
そんなモヤモヤした気持ちに、高知県在住の映画批評家の「ヤマさん」(実はネットで偶然にも知り合った大学の同級生なんですが)の批評が一本筋道をつけてくれました。
「ヤマさん」はこの「ミエルヒ」を『居場所と生業ということについて、いろいろ思わせてくれる秀作だった。』と総括されています。
詳細は「ヤマさん」の映画批評のページ <間借り人の映画日誌 -『ミエルヒ』>を是非ご覧になってください。
その批評の中に次のような記述がありました。
>「これしかできない」であろうと「これこそがやりたい」であろうと実のところ大差なく、自身がライフワークのようにして携わり続けることのできるものが“なりわい”であり、住み続けられる場所が“居場所”なのだろう。それをそのように意識できるかどうか、再発見できるかどうかが分かれ目なのだろうが、生まれ育った地には必ずそういうものが待っている・・・・。
『「これしかできない」であろうと「これこそがやりたい」であろうと実のところ大差ない。』というヤマさんの指摘に小生はハッとさせられました。確かに自分の心が思っている状態と実際に行動した結果とは必ずしも一致していないのかもしれません。いや一致していないことのほうが圧倒的に多いでしょう。そして周りに影響を与えるのは、(まさしくそれがその人が存在したことの証しなのでしょうが、)それはその人の行動した結果からしか生まれてこないという厳然たる事実です。
そう考えれば、確かに『「これしかできない」であろうと「これこそがやりたい」であろうと実のところ大差ない。』という帰結になるわです。そんなことより『自身がライフワークのようにして携わり続けることのできるもの(=“なりわい”)』を見つけ、認め、まさにやり続けるところに人生の意義があるのかもしれません。そしてそうやって生きていく場所こそが自分の居場所になるのかもしれません。
ただ、なぜ故郷というものが自分の居場所になるのかについては、ヤマさんも説明してくれていません。小生にもわかりません。それこそそれは人智を超えた神様の領域の話になってくるのかもしれません。
またヤマさんはこうも指摘しています。
>華やかに注目される場所と豊かな所得を手にしていても、そこに居場所や生業としての皮膚感覚を得ることができていなければ、人の生は虚しく、生きることに難儀を強いられるような気がしてならない。
この言葉に小生も全くその通りといたく納得しました。田舎から大都会に出て暮している方の中にはこの言葉に強く共感される方が多いのではないでしょうか?
小生は贔屓目での批評になってしまいますが、ヤマさんは実に冷静に客観的にこの作品を批評してくれています。平均して毎日1本以上の映画作品を劇場で鑑賞し、批評活動を続けておられるヤマさんは、極力情緒を排し、これまでの映像作品との比較という視点も交えてこの「ミエルヒ」を論評してくれています。これは実に貴重だと思います。
ギャラクシー賞の優秀賞を獲ったことは素晴らしいことです。でもそれに浮かれてしまって、作品をもう一度制作者自身が吟味するということを忘れないで欲しいと小生は願っております。その意味でもHTBの制作担当の方はじめ、関係者の皆様にもこの批評を一度は読んでいただきたいと思うております。
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2010.06.05
「ミエルヒ」ギャラクシー大賞ならず
2010年6月3日夜、2009年度のギャラクシー賞の大賞発表がありました。
結果は「ミエルヒ」は残念ながら大賞ならず。しかし優秀賞3作品の中の一つに入りました!
ギャラクシー賞のテレビ部門は、入選作品だけでも15 本くらいあって、その中から1作品だけが大賞(金メダル)というメチャクチャ狭き門であります。しかもドキュメンタリーも劇映画もバラエティも全部ひっくるめてです。
結果をご紹介しておきます。
●大賞●
・ETV特集「死刑囚 永山則夫~獄中28年間の対話」(NHK 2009年10月11日放送)
●優秀賞●
・HTBスペシャルドラマ「ミエルヒ」(北海道テレビ放送 2009年12月 19日放送)
・日曜劇場「JIN―仁―」(TBSテレビ 2009年10月11日~12月20日放送)
・カミングアウトバラエティ!秘密のケンミンSHOW「2010年今年もよろしく友愛スペシャル」(読売テレビ放送 2010年1月7日放送)
●選奨●
「桑田佳祐の音楽寅さん」(フジテレビジョン)他10本でありました。
何とその厳しい状況の中でベスト4に入ったわけであります。岡田ジャパンが羨ましがりそうですが、冗談はさておいて、作品として素晴らしい評価を受けたのは紛れも無い事実であります^^。
歴史的な大事件にかかわる死刑囚のドキュメンタリーに作り物のドラマが太刀打ちできないのは、その事実の持つ重みからしてやむを得ないものと思います。ただ、もしドラマ部門が独立していたら「ミエルヒ」が大賞を獲ったのではないかと少々歯痒い思いもあります。それを言っても詮無きこと。イカンイカン・・・・。
このドラマ「ミエルヒ」は、以前ここでも書きましたが、昨年中学の同期会を開くことになった小生の思いと、たまたま時と場所を同じくして似ような主題のドラマが制作されたことに、とても偶然とは思えないものを感じて、もう200%肩入れしてました。
小生も病を得て故郷に帰ってきたけれども、あの主人公と同じように「ここにしか帰る所」はなかったわけです。何をしていいのか、何が出来るのかもわからず、かと言って旧友と積極的に交わることも出来ず、一人もがいていました。そしてある程度時間が経ったとき、少しだけ自分の中で何かが変った。何かが動いた・・・・。
それくらい「ミエルヒ」は小生と重なり合ってたんですな。でも、最後に主人公が悟ったことと小生が思ったこととはちょっと違ってましたが。「このへんは脚本家のまだ未熟なところなのかな?」と小生は思ってました。その意味ではこの段階で小生にとって「惜しい!!!」だったんですけど(笑)。
見ていない人には何がなんだかサッパリでしょうが、ご勘弁ください。
この「ミエルヒ」、何とオール江別ロケだそうです。あの室内シーンも江別にある民家を借りて撮影したようです。スタッフやキャストは江別中のホテル・旅館に泊まりこみ。我々の同期会の夜(というか、もう朝)遠方から来た同級生が泊ったあのビジネスホテルにもロケ中のスタッフが泊っていたはず。それほどお互いに接近遭遇していたのでありました。
それが、2009年度の日本の全テレビ作品のベスト4に入ったんだから、改めてモノスゴイことだと思うわけであります。他の番組は全国キー局が莫大な制作費をかけたゴールデンタイムでの連続放送モノ。一方「ミエルヒ」は北海道のローカル放送で1回こっきりの放送。その後テレビ朝日系列の各地のローカル局でポツポツと放送されたものの、ほとんどが1回こっきりでなおかつ深夜放送。そんな不利にもめげずの銀メダルです。そう考えるとやっぱり感無量であります。
贔屓の引き倒しみたいになってしまうかもしれませんが、小生なんぞは既に20回くらい見てるけど飽きないんですよねー、これが(笑)。
この作品はどこにも派手なところはありません。実のところ今まであまり考えてこなかった「生きていくことって何だ?」という根源的な問いを淡々と見る者に問いかけてきます。そしてその答えはきっと見る人一人一人で微妙に違ったものになるのだろうと思います。ただそれは閉塞感に満ちた今の日本にとって、一度立ち止まってしっかりと考えてみる大切なことかもしれません。
そういった意味でも、できることならば多くの人に見て欲しいと思うとります。テレビ朝日系列でゴールデンタイムに全国規模で再放送してくれないでしょうかね。
結果は「ミエルヒ」は残念ながら大賞ならず。しかし優秀賞3作品の中の一つに入りました!
ギャラクシー賞のテレビ部門は、入選作品だけでも15 本くらいあって、その中から1作品だけが大賞(金メダル)というメチャクチャ狭き門であります。しかもドキュメンタリーも劇映画もバラエティも全部ひっくるめてです。
結果をご紹介しておきます。
●大賞●
・ETV特集「死刑囚 永山則夫~獄中28年間の対話」(NHK 2009年10月11日放送)
●優秀賞●
・HTBスペシャルドラマ「ミエルヒ」(北海道テレビ放送 2009年12月 19日放送)
・日曜劇場「JIN―仁―」(TBSテレビ 2009年10月11日~12月20日放送)
・カミングアウトバラエティ!秘密のケンミンSHOW「2010年今年もよろしく友愛スペシャル」(読売テレビ放送 2010年1月7日放送)
●選奨●
「桑田佳祐の音楽寅さん」(フジテレビジョン)他10本でありました。
何とその厳しい状況の中でベスト4に入ったわけであります。岡田ジャパンが羨ましがりそうですが、冗談はさておいて、作品として素晴らしい評価を受けたのは紛れも無い事実であります^^。
歴史的な大事件にかかわる死刑囚のドキュメンタリーに作り物のドラマが太刀打ちできないのは、その事実の持つ重みからしてやむを得ないものと思います。ただ、もしドラマ部門が独立していたら「ミエルヒ」が大賞を獲ったのではないかと少々歯痒い思いもあります。それを言っても詮無きこと。イカンイカン・・・・。
このドラマ「ミエルヒ」は、以前ここでも書きましたが、昨年中学の同期会を開くことになった小生の思いと、たまたま時と場所を同じくして似ような主題のドラマが制作されたことに、とても偶然とは思えないものを感じて、もう200%肩入れしてました。
小生も病を得て故郷に帰ってきたけれども、あの主人公と同じように「ここにしか帰る所」はなかったわけです。何をしていいのか、何が出来るのかもわからず、かと言って旧友と積極的に交わることも出来ず、一人もがいていました。そしてある程度時間が経ったとき、少しだけ自分の中で何かが変った。何かが動いた・・・・。
それくらい「ミエルヒ」は小生と重なり合ってたんですな。でも、最後に主人公が悟ったことと小生が思ったこととはちょっと違ってましたが。「このへんは脚本家のまだ未熟なところなのかな?」と小生は思ってました。その意味ではこの段階で小生にとって「惜しい!!!」だったんですけど(笑)。
見ていない人には何がなんだかサッパリでしょうが、ご勘弁ください。
この「ミエルヒ」、何とオール江別ロケだそうです。あの室内シーンも江別にある民家を借りて撮影したようです。スタッフやキャストは江別中のホテル・旅館に泊まりこみ。我々の同期会の夜(というか、もう朝)遠方から来た同級生が泊ったあのビジネスホテルにもロケ中のスタッフが泊っていたはず。それほどお互いに接近遭遇していたのでありました。
それが、2009年度の日本の全テレビ作品のベスト4に入ったんだから、改めてモノスゴイことだと思うわけであります。他の番組は全国キー局が莫大な制作費をかけたゴールデンタイムでの連続放送モノ。一方「ミエルヒ」は北海道のローカル放送で1回こっきりの放送。その後テレビ朝日系列の各地のローカル局でポツポツと放送されたものの、ほとんどが1回こっきりでなおかつ深夜放送。そんな不利にもめげずの銀メダルです。そう考えるとやっぱり感無量であります。
贔屓の引き倒しみたいになってしまうかもしれませんが、小生なんぞは既に20回くらい見てるけど飽きないんですよねー、これが(笑)。
この作品はどこにも派手なところはありません。実のところ今まであまり考えてこなかった「生きていくことって何だ?」という根源的な問いを淡々と見る者に問いかけてきます。そしてその答えはきっと見る人一人一人で微妙に違ったものになるのだろうと思います。ただそれは閉塞感に満ちた今の日本にとって、一度立ち止まってしっかりと考えてみる大切なことかもしれません。
そういった意味でも、できることならば多くの人に見て欲しいと思うとります。テレビ朝日系列でゴールデンタイムに全国規模で再放送してくれないでしょうかね。
2010.05.01
ギャラクシー賞
いやいや時間の過ぎるのは本当に速いものです。
前回の記事が1月末日。そして今日は4月末日。まるまる3ヶ月放ったらかしていたことになります。毎日のように更新していた頃を考えると、隔世の感があります。
時間というのは絶対的なものだと私たちは思いがちですが、実は感覚という面からみれば相対的なものなんじゃないかな?と何とはなく思っていたのですが、ある日NHKの「爆笑問題のニッポンの教養『爆笑学問』」を見ていたら、ベストセラー「ゾウの時間ネズミの時間」の著者でナマコ研究の世界的権威、本川達雄東京工大教授が面白い話をしていました。それは「ゾウの時間とネズミの時間は違う」ということでした。「動物はそれぞれ違った時間を生きていて、それはエネルギーの消費量と因果関係がある。」ということでした。つまり「多くのエネルギーを消費する生き物ほど、体内で流れる時間は早い。」という結論でした。
エネルギー消費量を心拍数として考えてみると、心臓が1回ドキンと打つ時間(心周期)が、ヒトの場合はおよそ1秒、ハツカネズミなどの心拍数はものすごく速くて1分間に600回から700回。心周期は0.1秒しかかからない。ちなみに普通のネズミは0.2秒、ネコで0.3秒、ウマで2秒、そしてゾウだと3秒かかるとのこと。そしてこういった時間と体重との関係を考えてみると、どれも体重が重くなるにつれ、だいたいその4分の1(0.25)乗に比例して時間が長くなるということが分かっているとのこと。つまり、体のサイズの大きい動物ほど、心周期も呼吸も筋肉の動きなんかもゆっくりになっていくということらしいです。そうなると、ナマコなんかはものすごく心周期が長い。人間時間での1日がナマコにとっては1時間に過ぎないなんてことになってくるとのことです。
「こいつらちっとも動かないな」と人間が思っていても、上の例に沿って考えると、人間が10分間観察している時間は、ナマコにとっては24分の1だから、25秒しか経っていないことになるわけです。
まあ小生とて一応人間ですから、ナマコ自身の感覚は良くわかりません。そこでこの説を人間にあてはめたらどうなんだろう?と思いました。子供の頃は1日1日が長く感じたのに、今はあっという間に時間が過ぎてしまうのはどうしてなんでしょうか? おそらく子供の頃のほうが心周期は短く、年をとるにしたがって動きも鈍くなるわけで心周期は長いのだろうと思います。平均的な心周期を1秒として、子供の頃はそれが半分の0.5秒、年をとったときは2秒と仮定すると、平均的な人間が過ごす24時間は、子供にとっては2倍の48時間に相当し、年寄りにとっては半分の12時間に相当するということになるのでしょうかね?
そうなると、半分の12時間しか経ってないのに1日が終わるわけですから、そりゃあ時間の経つのは速いはずです。逆に言うと、それだけ小生自身の老化が進んでいる?ということにもつながります。ありゃりゃであります。
昨日何気なくテレビのローカルニュースを見ていたら、このブログでもさんざん取り上げたHTB(北海道テレビ放送)制作のドラマ「ミエルヒ」が2009年度ギャラクシー賞に入賞したということが報じられていました。「ミエルヒ」はギャラクシー賞のテレビ部門での入賞で、これから大賞が選ばれるとのことであります。テレビ部門は14作品が入選していますが、うち9作品はドキュメンタリー、2作品がバラエティ、ドラマが3作品選考されています。ドラマで入賞したのは「ミエルヒ」のほかは、日曜劇場「JIN 仁」(TBS)、深夜食堂(「深夜食堂」製作委員会)でした。
これはなかなか大したもんだと小生嬉しく思っております。昨今のテレビドラマとしては出色の出来栄えだと思っていて、一人応援団でやってきましたから(涙)。できることなら大賞をとってもらいたいけど、そこまで欲を出してはイカンと自らを戒めています。最終選考会は5月とのこと。何とも発表が楽しみであります。
■ギャラクシー賞
放送批評懇談会が日本の放送文化の質的な向上を願い、優秀番組・個人・団体を顕彰するために、1963年に創設。審査は放送批評懇談会会員から選ばれた選奨事業委員会が担当。賞の決定を第三者に委託する顕彰制度が多いなか、ギャラクシー賞は放送批評懇談会の会員が一貫して審査にあたり、賞の独立性を維持しつづけている。
2009年度ギャラクシー賞受賞(入選)作品一覧は こちら です。
前回の記事が1月末日。そして今日は4月末日。まるまる3ヶ月放ったらかしていたことになります。毎日のように更新していた頃を考えると、隔世の感があります。
時間というのは絶対的なものだと私たちは思いがちですが、実は感覚という面からみれば相対的なものなんじゃないかな?と何とはなく思っていたのですが、ある日NHKの「爆笑問題のニッポンの教養『爆笑学問』」を見ていたら、ベストセラー「ゾウの時間ネズミの時間」の著者でナマコ研究の世界的権威、本川達雄東京工大教授が面白い話をしていました。それは「ゾウの時間とネズミの時間は違う」ということでした。「動物はそれぞれ違った時間を生きていて、それはエネルギーの消費量と因果関係がある。」ということでした。つまり「多くのエネルギーを消費する生き物ほど、体内で流れる時間は早い。」という結論でした。
エネルギー消費量を心拍数として考えてみると、心臓が1回ドキンと打つ時間(心周期)が、ヒトの場合はおよそ1秒、ハツカネズミなどの心拍数はものすごく速くて1分間に600回から700回。心周期は0.1秒しかかからない。ちなみに普通のネズミは0.2秒、ネコで0.3秒、ウマで2秒、そしてゾウだと3秒かかるとのこと。そしてこういった時間と体重との関係を考えてみると、どれも体重が重くなるにつれ、だいたいその4分の1(0.25)乗に比例して時間が長くなるということが分かっているとのこと。つまり、体のサイズの大きい動物ほど、心周期も呼吸も筋肉の動きなんかもゆっくりになっていくということらしいです。そうなると、ナマコなんかはものすごく心周期が長い。人間時間での1日がナマコにとっては1時間に過ぎないなんてことになってくるとのことです。
「こいつらちっとも動かないな」と人間が思っていても、上の例に沿って考えると、人間が10分間観察している時間は、ナマコにとっては24分の1だから、25秒しか経っていないことになるわけです。
まあ小生とて一応人間ですから、ナマコ自身の感覚は良くわかりません。そこでこの説を人間にあてはめたらどうなんだろう?と思いました。子供の頃は1日1日が長く感じたのに、今はあっという間に時間が過ぎてしまうのはどうしてなんでしょうか? おそらく子供の頃のほうが心周期は短く、年をとるにしたがって動きも鈍くなるわけで心周期は長いのだろうと思います。平均的な心周期を1秒として、子供の頃はそれが半分の0.5秒、年をとったときは2秒と仮定すると、平均的な人間が過ごす24時間は、子供にとっては2倍の48時間に相当し、年寄りにとっては半分の12時間に相当するということになるのでしょうかね?
そうなると、半分の12時間しか経ってないのに1日が終わるわけですから、そりゃあ時間の経つのは速いはずです。逆に言うと、それだけ小生自身の老化が進んでいる?ということにもつながります。ありゃりゃであります。
昨日何気なくテレビのローカルニュースを見ていたら、このブログでもさんざん取り上げたHTB(北海道テレビ放送)制作のドラマ「ミエルヒ」が2009年度ギャラクシー賞に入賞したということが報じられていました。「ミエルヒ」はギャラクシー賞のテレビ部門での入賞で、これから大賞が選ばれるとのことであります。テレビ部門は14作品が入選していますが、うち9作品はドキュメンタリー、2作品がバラエティ、ドラマが3作品選考されています。ドラマで入賞したのは「ミエルヒ」のほかは、日曜劇場「JIN 仁」(TBS)、深夜食堂(「深夜食堂」製作委員会)でした。
これはなかなか大したもんだと小生嬉しく思っております。昨今のテレビドラマとしては出色の出来栄えだと思っていて、一人応援団でやってきましたから(涙)。できることなら大賞をとってもらいたいけど、そこまで欲を出してはイカンと自らを戒めています。最終選考会は5月とのこと。何とも発表が楽しみであります。
■ギャラクシー賞
放送批評懇談会が日本の放送文化の質的な向上を願い、優秀番組・個人・団体を顕彰するために、1963年に創設。審査は放送批評懇談会会員から選ばれた選奨事業委員会が担当。賞の決定を第三者に委託する顕彰制度が多いなか、ギャラクシー賞は放送批評懇談会の会員が一貫して審査にあたり、賞の独立性を維持しつづけている。
2009年度ギャラクシー賞受賞(入選)作品一覧は こちら です。
2009.04.20
1968 TBSドラマ 「おやじ太鼓」
4月20日。今日も季節外れの暖かさになりました。空は晴れてはいるものの、でもどこか埃っぽい感じです。黄砂なんでしょうか? この暖かさで土に埋めた植物がグングン成長しています。もう少しで水仙の花が咲くかもしれません。
この数日車検のことでディーラーからしつこいほど電話が入って、少々鬱陶しく感じているオヤジであります。この車検制度も車の点検整備を徹底させるというよりも、ある意味税金をふんだくるための制度ですよね。このあたりも何とか改正してもらいたいとつくづく思います。
さてここ数日懐かしの海外ドラマをご紹介してきましたが、日本のTVドラマにも忘れられないドラマ、意外な縁でつながっていたドラマがありました。それは1968年の1月から1969年の10月にわたってTBS系列で放送された木下恵介アワーの「おやじ太鼓」であります。
この作品は1949年(昭和24年)に木下恵介監督、坂東妻三郎主演で制作された、映画「破れ太鼓」のテレビドラマ化だということのようです。話の内容は簡単に言ってしまえば、大家族の日常に巻き起こる様々な出来事(受験・仕事・恋愛・結婚etc)に父の亀次郎のカミナリが次々に落ちて、てんやわんやのうちに何とか大団円に至るという典型的なホームドラマでした。頑固親父ではあるものの、その根っこには家族のことを深く愛している父親としての情がしっかり溢れていたり、表面的には亭主関白なのですが、実のところは完全に奥さんの尻に敷かれている憎めない親父でもあり、何とも心温まる物語だったように記憶しています。

主演の建設会社社長の頑固なカミナリ親父こと鶴亀次郎役は進藤英太郎さん、妻愛子役は風見章子さん、父親の会社で社長秘書する長男・武男役には園井啓介さん、次男・洋二役は西川宏さん、大学生の三男・三郎役は津坂匡章(秋野大作)さん、浪人生の四男・啓四郎役はあおい輝彦さん、会社員の長女・明子役には香山美子さん、大学生の次女・幸子役に高梨木聖さん、高校生の三女・薫役に沢田雅美さんという顔ぶれでした。

子供たちの顔ぶれは、左から長男:園井啓介さん、次男:西川宏さん、長女:香山美子さん、三男:津坂匡章さん。下段は次女:高梨木聖さん、四男:あおい輝彦さん、末っ子の三女:沢田雅美さん。

このドラマとは直接関係のない話なのですが、一浪後早稲田に入れてもらった小生は、その後早稲田モダンジャズ研究会(通称ダンモ)に入部して、コンボ・ジャズのピアノ弾きとして楽しくやっていました。語学のクラスが同じで親しくなったシネマ研究会の武○君が高円寺に住んでいた頃、高円寺の南口の氷川神社そばにあったJazz Bar 「Witchcraft 人形茶館」というお店を見つけてたまたま入ったのですが、そのお店こそこの「おやじ太鼓」で次男役を演じられた西川宏さんが開いたお店でした。
マスターの顔を見た途端に、「あ、あの役者さんだ!」と気付き、恐る恐る尋ねたところ、間違いなく西川さんご本人でした。西川さんはJazzが好きで、小生が早稲田でジャズをやっていると知ると、是非ここで演ってくれ・・・・ということになり、小生は小生で恥も外聞も無く酔った勢いで適当に弾いた記憶があります。その後も小生のバンドのピアノ・トリオの面子で遊びに行っては、酒を飲み飲みピアノとベースのDUOプラス(ドラマーが其の辺のカウンターテーブルやら何やらを適当に叩く・・・・)で実に適当にスタンダード・ジャズを演奏させてもらったものです。懐かしくも貴重な思い出であります。
そう言えば、「おやじ太鼓」では次男・洋二役の西川宏さんは戦災で足が不自由になり、復員後は自宅で頑固親父の歌を作ったり、童話を創作するなど藝術肌のキャラクターを演じていました。ちょっと分別臭いところがあって生真面目で、カミナリオヤジも洋二にだけは多少遠慮がちでした。今にして思うと、あのキャラクターは全く架空のものではなく、西川さん自身のキャラクターとかなりの部分重なっていたのではないかと思います。
最後にあおい輝彦さんが歌う「おやじ太鼓」の主題歌を聴いてください。懐かしいですよ^^。
それと、Jazz Bar 「Witchcraft 人形茶館」のHPを見つけました。こちらです。
Dining & Bar Witchcraft 人形茶館
お店の写真を見る限り、30年前とほとんど変わっていないような気がします。カウンターからグランドピアノへと続いていました。昔はこのピアノの回りにも席があったような気がするのですが、定かではありません。
「奥様は魔女」からドラマつながりで「おやじ太鼓」へ来て、そこで昔のお店「Witchcraft」にまたつながりました・・・・。ちょっと不思議な感じがしているオヤジであります。
この数日車検のことでディーラーからしつこいほど電話が入って、少々鬱陶しく感じているオヤジであります。この車検制度も車の点検整備を徹底させるというよりも、ある意味税金をふんだくるための制度ですよね。このあたりも何とか改正してもらいたいとつくづく思います。
さてここ数日懐かしの海外ドラマをご紹介してきましたが、日本のTVドラマにも忘れられないドラマ、意外な縁でつながっていたドラマがありました。それは1968年の1月から1969年の10月にわたってTBS系列で放送された木下恵介アワーの「おやじ太鼓」であります。
この作品は1949年(昭和24年)に木下恵介監督、坂東妻三郎主演で制作された、映画「破れ太鼓」のテレビドラマ化だということのようです。話の内容は簡単に言ってしまえば、大家族の日常に巻き起こる様々な出来事(受験・仕事・恋愛・結婚etc)に父の亀次郎のカミナリが次々に落ちて、てんやわんやのうちに何とか大団円に至るという典型的なホームドラマでした。頑固親父ではあるものの、その根っこには家族のことを深く愛している父親としての情がしっかり溢れていたり、表面的には亭主関白なのですが、実のところは完全に奥さんの尻に敷かれている憎めない親父でもあり、何とも心温まる物語だったように記憶しています。


主演の建設会社社長の頑固なカミナリ親父こと鶴亀次郎役は進藤英太郎さん、妻愛子役は風見章子さん、父親の会社で社長秘書する長男・武男役には園井啓介さん、次男・洋二役は西川宏さん、大学生の三男・三郎役は津坂匡章(秋野大作)さん、浪人生の四男・啓四郎役はあおい輝彦さん、会社員の長女・明子役には香山美子さん、大学生の次女・幸子役に高梨木聖さん、高校生の三女・薫役に沢田雅美さんという顔ぶれでした。




子供たちの顔ぶれは、左から長男:園井啓介さん、次男:西川宏さん、長女:香山美子さん、三男:津坂匡章さん。下段は次女:高梨木聖さん、四男:あおい輝彦さん、末っ子の三女:沢田雅美さん。



このドラマとは直接関係のない話なのですが、一浪後早稲田に入れてもらった小生は、その後早稲田モダンジャズ研究会(通称ダンモ)に入部して、コンボ・ジャズのピアノ弾きとして楽しくやっていました。語学のクラスが同じで親しくなったシネマ研究会の武○君が高円寺に住んでいた頃、高円寺の南口の氷川神社そばにあったJazz Bar 「Witchcraft 人形茶館」というお店を見つけてたまたま入ったのですが、そのお店こそこの「おやじ太鼓」で次男役を演じられた西川宏さんが開いたお店でした。
マスターの顔を見た途端に、「あ、あの役者さんだ!」と気付き、恐る恐る尋ねたところ、間違いなく西川さんご本人でした。西川さんはJazzが好きで、小生が早稲田でジャズをやっていると知ると、是非ここで演ってくれ・・・・ということになり、小生は小生で恥も外聞も無く酔った勢いで適当に弾いた記憶があります。その後も小生のバンドのピアノ・トリオの面子で遊びに行っては、酒を飲み飲みピアノとベースのDUOプラス(ドラマーが其の辺のカウンターテーブルやら何やらを適当に叩く・・・・)で実に適当にスタンダード・ジャズを演奏させてもらったものです。懐かしくも貴重な思い出であります。
そう言えば、「おやじ太鼓」では次男・洋二役の西川宏さんは戦災で足が不自由になり、復員後は自宅で頑固親父の歌を作ったり、童話を創作するなど藝術肌のキャラクターを演じていました。ちょっと分別臭いところがあって生真面目で、カミナリオヤジも洋二にだけは多少遠慮がちでした。今にして思うと、あのキャラクターは全く架空のものではなく、西川さん自身のキャラクターとかなりの部分重なっていたのではないかと思います。
最後にあおい輝彦さんが歌う「おやじ太鼓」の主題歌を聴いてください。懐かしいですよ^^。
それと、Jazz Bar 「Witchcraft 人形茶館」のHPを見つけました。こちらです。
Dining & Bar Witchcraft 人形茶館
お店の写真を見る限り、30年前とほとんど変わっていないような気がします。カウンターからグランドピアノへと続いていました。昔はこのピアノの回りにも席があったような気がするのですが、定かではありません。
「奥様は魔女」からドラマつながりで「おやじ太鼓」へ来て、そこで昔のお店「Witchcraft」にまたつながりました・・・・。ちょっと不思議な感じがしているオヤジであります。
2009.04.17
懐かしの60年代海外ドラマ
4月17日。今日は昨日から一転暖かく真っ青に晴れ渡った一日でした。しかし小生は持病で体調がパッとせずトホホな状態でダラダラと過ごしました。本当ならこんなにいいお天気の春の日は散歩などできればいいのでしょうが、それがなかなか・・・・・。ということで、今日も午後NHKBSの映画を見てしまいました。タイトルは「セレンディピティ ~恋人たちのニューヨーク~」。ジョン・キューザックが好きなので何気なく見ていたのですが、これまた大好物のロマンティック・コメディでした。お相手はケイト・ベッキンセール。
こうも続けざまにハリウッドのロマンティック・コメディを見てくると、一口にロマンティック・コメディと言っても質感的に微妙な違いがあるような感じがしました。「セレンディピティ」はタイトル通り「運命」というものをベースに置いたものだったし、昨晩の「10日間で男を上手にフル方法」はアメリカ社会ならではのビジネスというものがベースにありました。そういえば「ニ番目のキス」も働く女性が主役でしたし、それにもましてベースボール文化というベースがありました。しかしどの作品を見ても、アメリカという国ではビジネス界における女性の位置づけが非常に高い・・・・ということを改めて感じさせられました。それが恋愛における女性の男性化、結婚・家庭というものへの価値観の変化をもたらしている一方、女性自身には小さな女の子が憧れるようなロマンティックな愛の世界への限りない憧憬が根強く残っていて、そのギャップがあまりに大きくてどう折り合いをつけていくのだろう・・・・?と他人事ながら少し心配になりました。
さて難しい話は横に置いて、「奥様は魔女」から昔懐かしい海外ドラマをあれこれ思い出しました。小生が小学生だった頃は、やっとテレビが各世帯に普及した頃でしたが、その当時は海外ドラマが圧倒的に放送枠を埋めていたような気がします。なんでだろう?と思ってWikipediaで調べてみたら、1950年代から1960年代頃の日本テレビ界は、まだコンテンツが少なく、劇映画やドラマを作る力を持っていた映画会社は勃興するテレビ勢力に対して自らの既得権を守るためにテレビへの劇映画提供を打ち切り、専属俳優のテレビドラマ出演も制限するなどしたため、テレビ界は事実上ドラマ・コンテンツを自前で制作することができず、その結果アメリカで製作されたテレビドラマを大量に輸入して放送せざるを得なかった・・・・。という次第で当時の日本は結果的に海外ドラマ全盛の時代になっていたのだそうです。
当時の海外ドラマはカテゴリーがはっきり分かれていました。
1.西部劇セクション:「ローハイド」、「拳銃無宿」、「ララミー牧場」、「ローン・レンジャー」
2.戦争ドラマ :「コンバット!」、「ラット・パトロール」、「ギャラント・メン」
3.ホーム・ドラマ :「うちのママは世界一」、「じゃじゃ馬億万長者」、「名犬ラッシー」
「奥さまは魔女」、「ルーシー・ショー」、「かわいい魔女ジニー」
4.SFドラマ :「スーパーマン」、「スタートレック」、「宇宙家族ロビンソン」、「タイム・トンネル」
5.探偵・刑事ドラマ :「サンセット77」、「ペリー・メイスン」、「アンタッチャブル」、「ヒッチコック劇場」
6.シリアス・ドラマ :「逃亡者」、「ベン・ケーシー」
7.スパイ・ドラマ :「0011ナポレオン・ソロ」、「スパイ大作戦」・・・・・・etc etc
ほとんどリアルタイムで見ていました。やはりテレビ小僧だったんですね。職業をテレビ・ドラマ評論家にでもすれば良かった・・・。
こんな当時の海外ドラマを紹介した動画がありました。よろしければどうぞ。「懐かしの海外TVドラマ」
今日はそんな中でもお気に入りだったドラマのオープニング・テーマをいくつかご紹介したいと思います。
まずは「奥さまは魔女」ときたらこれを避けては通れません。「かわいい魔女ジニー」
いやあ幼心になんとも原始的なエロティシズムを感じたものです。ベリー・ダンスの何と色っぽいこと。この魔女が壺に住んでいるという設定はアラジンの魔法のランプから着想を得たものだとは思いますが、その後ヒットしたアニメ「ハクション大魔王」はこの「かわいい魔女ジニー」に触発されてできた作品に違いありません。アクビちゃんはまさに「かわいい魔女ジニー」の子供版ですよね。
もうひとつがこれ、「じゃじゃ馬億万長者」
いやあ懐かしい・・・・。毎週日曜日の朝にやっていました。ひょんなことで石油を掘り当てたド田舎モノがビバリーヒルズで暮らすのですが、その暮らしっぷりが田舎にいた頃と少しも変わらない(特に婆ちゃん)のが何とも素晴らしいのです。まさしく石油成金には違いないのですが、今の成金と違ってカネに振り回されないんですな。そして使うときは人様の幸せのためにドッカーンと使う。こんな今の時代だからこそ再放送して欲しい番組です。カネとはこういうもんだということをきっと教えてくれます。
こちらに当時の日本語版のオープニング・テーマがありました。興味があればどうぞ・・・。
Youtube動画:じゃじゃ馬億万長者
日曜日は習字の教室に行く日でした。朝にこの「じゃじゃ馬億万長者」を見て、続いてアニメの「狼少年ケン」を見てからしぶしぶといった感じで教室に向かったのを思い出します。日曜日の定番はこのほかには何といっても「兼高かおる 世界の旅」でした・・・・。
ドラマではないのですがあまりにも懐かしくて・・・・。
もうすっかりご隠居さんですな^^;。
こうも続けざまにハリウッドのロマンティック・コメディを見てくると、一口にロマンティック・コメディと言っても質感的に微妙な違いがあるような感じがしました。「セレンディピティ」はタイトル通り「運命」というものをベースに置いたものだったし、昨晩の「10日間で男を上手にフル方法」はアメリカ社会ならではのビジネスというものがベースにありました。そういえば「ニ番目のキス」も働く女性が主役でしたし、それにもましてベースボール文化というベースがありました。しかしどの作品を見ても、アメリカという国ではビジネス界における女性の位置づけが非常に高い・・・・ということを改めて感じさせられました。それが恋愛における女性の男性化、結婚・家庭というものへの価値観の変化をもたらしている一方、女性自身には小さな女の子が憧れるようなロマンティックな愛の世界への限りない憧憬が根強く残っていて、そのギャップがあまりに大きくてどう折り合いをつけていくのだろう・・・・?と他人事ながら少し心配になりました。
さて難しい話は横に置いて、「奥様は魔女」から昔懐かしい海外ドラマをあれこれ思い出しました。小生が小学生だった頃は、やっとテレビが各世帯に普及した頃でしたが、その当時は海外ドラマが圧倒的に放送枠を埋めていたような気がします。なんでだろう?と思ってWikipediaで調べてみたら、1950年代から1960年代頃の日本テレビ界は、まだコンテンツが少なく、劇映画やドラマを作る力を持っていた映画会社は勃興するテレビ勢力に対して自らの既得権を守るためにテレビへの劇映画提供を打ち切り、専属俳優のテレビドラマ出演も制限するなどしたため、テレビ界は事実上ドラマ・コンテンツを自前で制作することができず、その結果アメリカで製作されたテレビドラマを大量に輸入して放送せざるを得なかった・・・・。という次第で当時の日本は結果的に海外ドラマ全盛の時代になっていたのだそうです。
当時の海外ドラマはカテゴリーがはっきり分かれていました。
1.西部劇セクション:「ローハイド」、「拳銃無宿」、「ララミー牧場」、「ローン・レンジャー」
2.戦争ドラマ :「コンバット!」、「ラット・パトロール」、「ギャラント・メン」
3.ホーム・ドラマ :「うちのママは世界一」、「じゃじゃ馬億万長者」、「名犬ラッシー」
「奥さまは魔女」、「ルーシー・ショー」、「かわいい魔女ジニー」
4.SFドラマ :「スーパーマン」、「スタートレック」、「宇宙家族ロビンソン」、「タイム・トンネル」
5.探偵・刑事ドラマ :「サンセット77」、「ペリー・メイスン」、「アンタッチャブル」、「ヒッチコック劇場」
6.シリアス・ドラマ :「逃亡者」、「ベン・ケーシー」
7.スパイ・ドラマ :「0011ナポレオン・ソロ」、「スパイ大作戦」・・・・・・etc etc
ほとんどリアルタイムで見ていました。やはりテレビ小僧だったんですね。職業をテレビ・ドラマ評論家にでもすれば良かった・・・。
こんな当時の海外ドラマを紹介した動画がありました。よろしければどうぞ。「懐かしの海外TVドラマ」
今日はそんな中でもお気に入りだったドラマのオープニング・テーマをいくつかご紹介したいと思います。
まずは「奥さまは魔女」ときたらこれを避けては通れません。「かわいい魔女ジニー」
いやあ幼心になんとも原始的なエロティシズムを感じたものです。ベリー・ダンスの何と色っぽいこと。この魔女が壺に住んでいるという設定はアラジンの魔法のランプから着想を得たものだとは思いますが、その後ヒットしたアニメ「ハクション大魔王」はこの「かわいい魔女ジニー」に触発されてできた作品に違いありません。アクビちゃんはまさに「かわいい魔女ジニー」の子供版ですよね。
もうひとつがこれ、「じゃじゃ馬億万長者」
いやあ懐かしい・・・・。毎週日曜日の朝にやっていました。ひょんなことで石油を掘り当てたド田舎モノがビバリーヒルズで暮らすのですが、その暮らしっぷりが田舎にいた頃と少しも変わらない(特に婆ちゃん)のが何とも素晴らしいのです。まさしく石油成金には違いないのですが、今の成金と違ってカネに振り回されないんですな。そして使うときは人様の幸せのためにドッカーンと使う。こんな今の時代だからこそ再放送して欲しい番組です。カネとはこういうもんだということをきっと教えてくれます。
こちらに当時の日本語版のオープニング・テーマがありました。興味があればどうぞ・・・。
Youtube動画:じゃじゃ馬億万長者
日曜日は習字の教室に行く日でした。朝にこの「じゃじゃ馬億万長者」を見て、続いてアニメの「狼少年ケン」を見てからしぶしぶといった感じで教室に向かったのを思い出します。日曜日の定番はこのほかには何といっても「兼高かおる 世界の旅」でした・・・・。
ドラマではないのですがあまりにも懐かしくて・・・・。
もうすっかりご隠居さんですな^^;。